遅れて届いた礼

父を懐かしむ静かな夜 泣ける話

父が死んだのは、春の終わりだった。

 住宅街の街路樹は、何ごともなかったように若い葉をひらいていて、その青さが、かえって腹立たしかった。

 人がひとり死んだくらいで季節のほうが立ち止まってくれるわけもないが、それでも私は、そういう当たり前のことに、ひどく傷ついていたのだと思う。

 葬儀を終えた二日後、私は役所へ出勤した。

 喪服の黒いネクタイだけ外して、いつもの灰色のスーツを着た。鏡に映る自分は、身内を亡くしたばかりの男というより、ただ寝不足で顔色の悪い職員に見えた。

 午前九時を過ぎるころには、窓口の前に人が並びはじめる。

 転入届、保険証、年金、税金、子どもの医療費。

 生活というものは、泣きたい朝にも容赦なく番号札を取らせる。

 その日、死亡に関する手続きの案内を受けに来た老婦人が、震える指で書類を差し出しながら、何度も「すみませんね」と言った。

 謝るのはこちらのほうだ、と私は思った。

 けれど実際には、定型文どおりの声で必要書類を説明し、記入漏れに赤ペンで印をつけただけだった。

 窓口のガラスに映る自分の顔が、知らない男みたいに冷たく見えた。

 人の死を扱う仕事をしながら、自分の父の死には、まだうまく触れられずにいた。

 父とは、長いこと口をきかなかった。

 いや、正確に言えば、必要なことしか話さなかった。

 ゴミ出しの日、回覧板、風呂の給湯器の調子、米がなくなりそうだとか、そういう傷まない話題だけで、私たちは何年も暮らしてきた。

 仲が悪い、というほど派手でもない。

 怒鳴り合うことも、絶縁することもなかった。

 ただ、何年もかけて、会話の通る道が少しずつ細くなり、しまいには、大事なことがひとつも通れなくなってしまった。

 原因は、たぶん秘密だった。

 秘密といっても、世間が面白がるようなものではない。

 女だとか借金だとか、そういう湿った華やかさのある話ではなく、もっと地味で、もっと取り返しのつかない種類の秘密である。

 父は昔から、黙って背負う人だった。

 言えば済むことを言わず、説明すればほどける誤解を、そのまま着こんで季節を越すような人だった。

 母が亡くなってから、その傾向はいっそうひどくなった。

 食卓でも、父は私の顔を見ず、湯気の立つ味噌汁ばかり見ていた。

 私もまた、父の顔を見なかった。

 見れば何か言わなければならない気がしたし、何か言えば、取り返しのつかないものが露わになるような気がした。

 だから私は、仕事を言い訳にして逃げた。

 忙しいのは本当だった。

 だが本当というものは、たいてい言い訳にちょうどいい。

 私は市役所の市民課で働いている。

 朝は早いし、年度替わりは目が回るほど忙しい。

 異動の季節には窓口が荒れるし、制度の説明をすればするほど相手の顔が険しくなることもある。

 感謝されることより、面倒がられることのほうが多い仕事だ。

 その疲れを、私は父に向けていたのかもしれない。

 帰宅すると、父は居間でテレビを見ている。

 大して見たくもなさそうな顔で、音だけをつけている。

 私は靴を脱ぎながら、ただいま、と言う。

 父は、ああ、とだけ返す。

 その「ああ」のなかに、どれだけの意味があるのか、昔の私は探ろうともしなかった。

 忘れられない夜がある。

 母が亡くなって一年ほど経ったころだ。

 父から珍しく電話がかかってきた。

 仕事帰りの私は、庁舎裏の喫煙所の横を通りながらスマートフォンを耳に当てた。

「少し、話したいことがある」

 父はそう言って、それきり黙った。

 私はその沈黙に苛立った。

 話したいことがあるなら、さっさと話せばいい。

 大人が子どもみたいな呼び出し方をするな。

 そう思って、ずいぶん冷たい声で言った。

「今ちょっと無理だよ。忙しいから、今度にしてくれ」

 父はしばらく黙ってから、低い声で「ああ」とだけ言った。

 電話はそれで終わった。

 私はそのあと、同僚に呼ばれて、すぐ別の用件に追われた。

 父のことなど、ほんの十分も経たないうちに頭の隅へ追いやってしまった。

 あのとき、電話を切らなければよかった。

 今ではそう思う。

 けれど、そのときの私は、まだ父が死ぬ人間だとは思っていなかった。

 人は、身近な者ほど、いつまでも死なないような気でいる。

 それが驕りだと知るのは、たいてい遅すぎる。

 通夜が終わり、親戚たちが帰ったあとの家は、妙に広かった。

 人がたくさん来ていたはずなのに、気配が引くと、柱の傷や畳のへこみだけが目立つ。

 居間にはまだ線香の匂いが残っていて、座布団には叔父の重たい体の跡が少しへこんだままだった。

 私は仏間の隣の六畳で、父の遺品を整理していた。

 眼鏡ケース。

 くたびれたベルト。

 湿布の残り。

 小銭の音がする財布。

 安いボールペン。

 どれも父に似て、控えめで、要領の悪そうな物ばかりだった。

 箪笥の最下段を引いたとき、奥に茶封筒が一通、ひっそり挟まっていた。

 手伝いに来てくれていた叔母が、それを見つけて言った。

「これ、あんた宛てじゃないの」

 表を見ると、たしかに私の名前が父の字で書かれていた。

 角張っていて、少し右上がりの、不器用な字だった。

 きれいに書こうとして、かえって力が入りすぎる。そういう字だ。

 切手は貼られていない。

 渡すつもりで、渡せなかったのだろう。

 私はしばらく、それを開けられなかった。

 怖かったからではない。

 むしろ、あまりに何でもないことしか書かれていなかったらどうしようと思ったのだ。

 長い沈黙に釣り合うような理由など、最初から存在しなかったとしたら。

 私たちは、つまらない行き違いのために、何年も互いを遠ざけていたことになる。

 それが、ひどく恐ろしかった。

 意を決して封を切ると、中には通帳が一冊と、便箋が二枚入っていた。

 通帳は、私の名義だった。

 知らない銀行のものだった。

 最初の記帳日は、私が大学進学をあきらめた年の五月になっていた。

 以後、月に一度か二度、決まった額ではないが、少しずつ入金がある。

 三千円。五千円。八千円。

 金額のばらつきが、かえって父の生活を想像させた。

 余裕のある月など、たぶんなかったのだろう。

 それでも、何かを削って入れていたのだ。

 最後の入金は、父が入院する一週間前だった。

 私は便箋を開いた。

『これを渡すかどうか、ずっと迷っていた。おまえは怒るかもしれない』

 父らしい書き出しだった。

 肝心なことの前に、まず怯える。

『おまえが大学をやめると言ったとき、私は何も言わなかった。本当は行かせてやりたかった』

 そこを読んだだけで、喉が詰まった。

 昔のことを思い出した。

 私は高校のころ、成績だけは妙によかった。

 東京の大学で文学を学びたいと思っていた。

 本のなかにばかり逃げ込む、役に立たない子どもだった。

 だが母の病気が悪化し、入退院が増え、家計は目に見えて苦しくなった。

 進学の話をした夜、父は焼酎のコップを見つめたまま、「好きにしろ」と言った。

 私はその言い方が、ひどく冷たく思えた。

 好きにしろ。

 それは、つまり行くな、という意味だと受け取った。

 ならば最初からそう言えばいいのに、と思った。

 言わないくせに、こちらに察しろと迫る、その不親切が許せなかった。

 だから私は進学をやめた。

 地元に残り、公務員試験を受けた。

 母の病院代のこともあったし、父ひとりに背負わせるのも現実的ではなかった。

 けれど当時の私は、自分だけが何かをあきらめたつもりでいた。

 父はそれを当然と思っている。

 そう決めつけていた。

 便箋の続きを読む。

『母さんの病院代と家のことがあって、私は黙った。黙って、おまえがあきらめるのを見ていた』

『あのとき止めてでも行かせるのが親だったのかもしれないが、私にはその金も覚悟もなかった』

『せめて、おまえが失ったものの、ほんの少しでも返したかった』

 文字はところどころ震えていた。

 紙の上に、父の指先の迷いがそのまま残っている気がした。

『だから少しずつためた。みっともない額だが、私にできたのはこれくらいだった』

『言えば、おまえは受け取らないと思った。怒った顔が目に浮かんだ』

『秘密にした。卑怯だったと思う』

 私は便箋を持つ手に力が入った。

 怒る顔。

 たしかに私は、そういう顔をしていたのだろう。

 父を責める準備ばかり整えて、父の言い分をひとつも聞こうとしない顔を。

 父の字はさらに続いていた。

『役所の前を通るたび、おまえが中にいる気がした。窓口の仕事は大変だろうと思った』

『人に頭を下げられる仕事でもないだろうし、感謝されないことのほうが多いだろう』

『それでも私は感謝している。おまえは人の暮らしの面倒なところを引き受けている』

『立派だと思う』

 私はそこで、ようやく息を呑んだ。

 父から「立派だ」と言われた記憶が、これまで一度もなかったからだ。

 褒めることを知らない人だと思っていた。

 いや、褒める気すらない人だと思っていた。

 最後の一行は、少し大きな字だった。

『父親らしいことを言ったことがないので、最後くらいは書いておく。ありがとう』

 私はその場で泣かなかった。

 泣くより先に、恥ずかしさが来た。

 私は何年も、父を冷たい男だと思っていた。

 説明しないことを怠慢だと決めつけ、無口を薄情だと信じていた。

 だが本当は、自分も同じだった。

 忙しさを盾にして、父の沈黙に踏み込まなかった。

 確かめれば分かったかもしれないことを、確かめる勇気すら持たなかった。

 父に似ていたのは、むしろ私のほうだった。

 夜になって、住宅街はひっそりと静まった。

 向かいの家の窓には夕飯の明かりが灯り、どこかの家から煮物の匂いが流れてきた。

 子どもの笑い声が遠くでして、犬が一度だけ吠えた。

 そういう、何でもない暮らしの音のなかに、父はずっといたのだと思った。

 派手に愛することも、うまく謝ることもできず、ただこの町に勤め、この町で老い、この町の誰にも知られぬまま、私のために少しずつ金を入れていた。

 誰にも見せないやり方で。

 翌週、私は半休を取って銀行へ行った。

 通帳を解約するつもりで窓口に座ったのに、結局それができなかった。

 代わりに、自分の財布から現金を出して入金票を書いた。

 父の最後の入金額と同じ数字を書いた。

 意味があるのかは分からない。

 けれど、受け取るだけでは終われなかった。

 その帰り、私は実家へ寄った。

 仏壇の前に座り、線香に火をつける。

 煙は細く立ちのぼり、すぐに形をなくした。

 昔から、線香の煙は頼りない。

 まっすぐ上がっているようで、いつのまにか崩れてしまう。

 人の気持ちも、たぶん同じなのだろう。

 言わなければ消える。

 いや、消えないまま、届かずに漂い続ける。

 私は遺影の父を見た。

 笑っているのか、困っているのか、判然としない顔だった。

 生前と同じ、要領の悪い表情だった。

 私はようやく声を出した。

「……遅くなって、ごめん」

 それから、喉の奥にひっかかるものを押し出すようにして言った。

「ありがとう」

 声にした途端、それはあまりに簡単な言葉で、どうしてこれを何年も言えなかったのかと思った。

 同時に、その簡単さゆえに、どうしようもなく泣きたくなった。

 父は、もう聞いていない。

 それでも、言わないよりはましだと思った。

 春はもう終わる。

 窓の外では、近所の家の洗濯物が夕方の風に揺れていた。

 生きている者の暮らしは続く。

 手続きも、苦情も、回覧板も、ゴミ出しも、電気代も、つつましい夕飯も、続いていく。

 その面倒くさい日々のなかで、人はたまに、言いそびれた感謝を、通帳や封筒や、沈黙の底にしまいこんでしまう。

 私は明日も役所へ行く。

 窓口に立って、急いだ声や、困った顔や、ぶっきらぼうな物言いを受け取るだろう。

 そのたびに少しだけ思うはずだ。

 言葉の下には、別の事情が埋まっていることがある、と。

 父が渡しそびれた封筒は、いま私の机の引き出しに入っている。

 たぶん、これから先も捨てない。

 遅すぎた感謝というものがあるなら、私はそれを抱いたまま生きていく。

 そしていつか、自分もまた誰かに何かを渡しそびれそうになったなら、そのときは黙らずに言おうと思う。

 ありがとう、と。

 できれば、まだ間に合ううちに。

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