終電後、祖父の切符を拾った夜

月明かりの幻影 泣ける話

終電が出たあとの駅というのは、昼の駅とはまるで別の顔をしています。

人に使われるための場所だったはずなのに、人がいなくなると、急に何かを待つ場所に変わるのです。

長いホームの先で風が鳴り、蛍光灯が白々とレールを照らし、ベンチだけが誰かの帰りをまだ信じているように見える。

私はその静かな駅を巡回する警備員です。

忘れ物がないか、不審なものがないか、施錠に異常がないかを確認しながら、毎晩、終電後の構内を歩いています。

改札のランプ、閉ざされた売店、誰もいない案内板、冷えた手すり。

そういうものに触れていると、自分まで少しずつ無口になっていく気がします。

この仕事を始めて五年になります。

向いていると思ったことは、一度もありません。

ただ、人に愛想よくするのが苦手で、黙って立っているぶんには役に立てる仕事だろうと思って選びました。

実際、その見立ては半分当たり、半分外れました。

警備の仕事は黙って立っているだけでは済みません。

迷った人に道を聞かれ、酔客をなだめ、泣いている子どもにしゃがんで目線を合わせ、怒っている客には頭を下げる。

人と関わることから逃げたつもりが、人の取り乱した気持ちのすぐそばに立つ仕事でした。

それでも、私は相変わらず言葉が下手でした。

優しく言えば済むことを、正しく言おうとして冷たくする。

相手を傷つけるつもりはないのに、口から出るときには、もう棘になっている。

そういう損な性分は、たぶん祖父に対していちばんよく出ていました。

祖父は、昔、駅員でした。

今でいう駅員、というより、もっと駅そのものに近い人だった気がします。

若いころは改札に立ち、切符に鋏を入れ、雪の日にはポイントの確認をし、遅延が出れば頭を下げ、子どもにはしゃがんで道を教えたそうです。

私が小さかったころ、祖父はよく駅へ連れて行ってくれました。

列車に乗るためではなく、列車を見るためにです。

ベンチに並んで座り、入ってくる列車の型を教え、昔はここから海の見える町まで一本で行けたんだと、何度も同じ話をしました。

「切符いうもんはな、ただの紙じゃないぞ」

祖父はそう言って、古い硬券を指でつまみ、日に透かして見せたことがあります。

「これは、どこかへ行くための約束や」

私は子どもでしたから、ふうん、としか思いませんでした。

でも、その言い方だけは妙に覚えています。

約束。

祖父は駅のことを話すときだけ、少しだけ声が若くなりました。

ところが、年を取るにつれて、祖父は少しずつ記憶を取りこぼすようになりました。

医者に認知症の初期だと言われたのは、七十代の終わりごろです。

最初は軽いものでした。

薬を飲んだか忘れる。

鍋の火を気にして何度も台所へ戻る。

私の勤務時間を何度も聞く。

けれどやがて、時間の前後が曖昧になっていきました。

死んだ祖母のために茶碗を二つ出したり、廃線になった路線の発車時刻を真顔で尋ねたりした。

昨日のことと三十年前のことが、祖父の中では同じ棚に入ってしまうようでした。

母は「うまく話を合わせてあげて」と言いました。

私は、それが苦手でした。

間違っていることを、間違っていると言わずに流すのが、どうにもできない。

正しいことを教えるのが親切だと思っていました。

あるいは、そう思い込むことで、自分のいらだちを正当化していたのかもしれません。

仕事が忙しかった、という言い訳もあります。

警備の夜勤明けで祖父の家に寄ることも多く、眠気と疲れで頭がささくれていた。

同じ話を三度聞かされれば、四度目には声が冷たくなった。

祖父に悪気がないとわかっていても、私はいつも、受け止めるより先に訂正してしまったのです。

「その路線はもうないよ」

「昨日も聞いたよ」

「違うって、じいちゃん」

そんなふうに。

今思えば、あのころの私は、祖父の記憶の混乱より、自分の生活が乱されることのほうを恐れていました。

ある晩のことです。

勤務前に祖父の家へ寄ると、祖父はこたつの上に古い手帳を広げていました。

ずいぶん使い込まれた黒い手帳で、角が白くすり減っている。

そのあいだから、祖父は一枚の古い切符を取り出しました。

硬く、黄ばんだ、小さな紙の切符でした。

今ではほとんど見かけない、昔の硬券です。

祖父はそれを、ひどく大切そうに、けれどどこか得意げに持ち上げました。

「見ろ、まだあった」

私は上着を脱ぎながら、生返事をしました。

祖父は嬉しそうに続けました。

「明日な、これで海を見に行くんだ」

私は手を止めました。

海。

その言葉に、幼いころの記憶が一瞬だけ浮かびました。

祖父と駅のベンチに座って、海へ行く列車の話を聞いた夕方。

でも現実には、その路線はもうとうに廃線で、その切符も当然使えるはずがない。

しかも私はその日、夜勤が続いて何日もろくに眠れていなかったのです。

祖父の言葉を、思い出の断片として受け止める余裕がありませんでした。

私は、疲れた人間がいちばん使ってはいけない声で言ってしまいました。

「いい加減にしてよ、じいちゃん」

祖父はまばたきをしました。

私は止まれませんでした。

「そんなの、もう使えないから」

祖父はまだ黙っていました。

それで私は、さらにひどいことを言いました。

「ただの紙切れだろ」

言った瞬間、自分でもまずいとわかりました。

でも言葉は戻りません。

祖父はしばらく切符を見ていました。

それから、小さく「そうか」と言いました。

怒りもしない。

言い返しもしない。

ただ、まるで自分の中だけに向かって戸を閉めるような声でした。

私は居心地が悪くなり、「じゃあ行くから」とだけ言って家を出ました。

振り返りませんでした。

その二週間後、祖父は脳梗塞で倒れました。

駆けつけたころには、もう意識は戻りませんでした。

病室の機械音だけが妙に規則正しく、私はその音に合わせて何か言わなければならない気がしたのに、何も言えなかった。

謝るには遅すぎました。

祖父は、そのまま亡くなりました。

葬儀のあと、遺品整理も少し手伝いました。

手帳や眼鏡や薬袋、使いかけのボールペン、メモ帳、封筒、そういう日常の残りを箱に分ける作業です。

けれど、あの切符は見つかりませんでした。

私は、それを祖父が捨てたのだと思いました。

あの晩、私に紙切れだと言われたあと、自分で処分したのだろうと。

そう考えると、胸のどこかが鈍く痛みました。

祖父の記憶を否定しただけではなく、大事にしていたものまで捨てさせてしまったのだ、と。

私はそのことを、誰にも言えませんでした。

母に話せば、きっと「そんなこと思ってないよ」と言ってくれたでしょう。

でも、そう慰められる資格が自分にあるとは思えなかった。

それから一年が過ぎました。

私は相変わらず夜の駅を歩いていました。

終電が出たあとの巡回は、どこか祈りに似ています。

人のいない場所を、異常がないか確かめて回る。

何も起きていないことを確認するために、ひとつひとつ見ていく。

その夜、二番線ホームのベンチ下に小さな紙片が落ちているのが見えました。

拾い上げると、切符でした。

古いものでした。

角がすり減り、表面に指の脂のような鈍い艶がある。

胸が、ひやりとしました。

もちろん祖父のもののはずがありません。

そんな都合のいい話があるわけもない。

それでも私は、しばらくその場で動けませんでした。

事務室へ戻り、いつものように拾得物処理をしました。

落とし物タグを出し、発見日時、場所、品名を書く。

二十三時四十八分。

二番線ホーム、ベンチ下。

乗車券一枚。

タグの細い紙ひもを切符に通しながら、私は妙な息苦しさを覚えました。

仕事では何百回もやってきた作業なのに、その夜だけは、やけに手元が見えにくかった。

翌日の昼過ぎ、その切符を探しに来た人がいました。

小柄な老婦人でした。

白髪をきちんと結び、少しくたびれた紺のカーディガンを羽織っている。

確認のため切符を見せると、その人は「ああ」と息をもらし、両手で包むように受け取りました。

失くしものが戻った人は、たいがい安堵します。

でもその人の顔には、それだけではないものが浮かんでいました。

懐かしさと、痛みと、少しの恥ずかしさが混ざったような表情でした。

私は必要事項を尋ねました。

「お心当たり、伺ってもいいですか」

老婦人は少し迷ってから、言いました。

「亡くなった主人のものなんです」

私は顔を上げました。

「駅で働いていた人でしてね。古い切符を手帳に挟んで、大事に持っていたんです」

私は何も言えませんでした。

「今日は孫が来るので、見せてやろうと思って持ってきたんです。主人はよく言ってましたから。切符は、ただの紙じゃないって」

その瞬間、私は胸の奥を誰かに掴まれたような気がしました。

まったくの他人の話です。

なのに、その言葉は、まるで祖父の声そのものでした。

切符は、ただの紙じゃない。

私は、駅員だった祖父の言葉を知っていたはずなのに、あの晩は何ひとつ受け取れていなかった。

祖父は、本気でその切符で海へ行けると思っていたのだろうか。

たぶん、違う。

少なくとも、それだけではなかったのだと思います。

あの人は、行き先を言いたかったのではない。

見せたかったのだ。

海へ続いていたころの駅を。

昔の自分を。

まだ私が幼く、祖父の話を素直に聞いていた時間を。

その切符に挟まっていた記憶を。

祖父の記憶が間違っていたのではなく、私のほうが、祖父の差し出したものの意味を取り違えていたのです。

その日の勤務の帰り道、私はホームの端に立って、しばらく暗い線路を見ていました。

終電のあとのレールは、どこへも行かないように見えます。

けれど朝になれば、また最初の列車がそこを走る。

待っているあいだだけ、止まっているだけなのです。

私はふいに、祖父の家にもう一度行きたくなりました。

数日後、母に声をかけて、残っていた段ボールを整理することにしました。

押し入れの奥から、使わなくなった毛布や古い書類の箱を引っ張り出す。

その途中で、見覚えのある黒い手帳が出てきました。

あの、角のすり減った手帳でした。

私は息を止めて、それを開きました。

家計のメモ、病院の予約日、電気代の控え、どうでもよさそうな数字。

そのあいだから、一枚の紙がはらりと落ちました。

拾い上げて、私はその場にしゃがみ込みました。

それは切符ではありませんでした。

古い落とし物タグでした。

駅で使う、細長いタグです。

黄ばんで、端が少し折れている。

祖父の字ではない、昔の駅員の筆跡で番号と品名が書かれていました。

そして備考欄の隅に、鉛筆で震えるように書き足した文字がありました。

『ゆうちゃんと海へ』

ゆうちゃん、というのは、祖父だけが私をそう呼んでいました。

私はタグを持ったまま、声も出せずに泣きました。

切符はなくてもよかったのです。

祖父は捨てていなかった。

なくしてもいなかった。

切符そのものより、そこに結びついていた約束を、手帳に挟んでいたのです。

落とし物タグ。

失くしたものに結びつけ、持ち主のもとへ帰すための札。

そんなものを、祖父は切符の代わりに挟んでいた。

まるで、自分の中からこぼれ落ちていく記憶に、必死で名札をつけるみたいに。

あるいは、私に渡しそびれた約束が、どこかへ行ってしまわないように。

私は泣きながら、ようやくわかりました。

祖父が失くしかけていたのは、思い出そのものじゃない。

失くしてなるものかと握っていたのは、誰かとどこかへ行きたかった気持ちのほうでした。

そして本当に失くしかけていたのは、私のほうだったのです。

祖父の言葉の意味も。

待ってくれていた時間も。

もう一度、隣に座って聞けばよかった話も。

それから私は、落とし物タグを書くとき、少しだけ手つきが変わりました。

品名と場所と時刻を書くだけの札です。

けれど、その向こうにはいつも、名前のない事情がある。

片方だけの手袋にも。

古びた定期入れにも。

子どもの水筒にも。

古い切符にも。

持ち主にとっては、それがただの物ではないことがある。

誰かとの約束だったり、謝れなかった一言だったり、もう会えない人の体温の残りだったりする。

先月、改札のそばで泣いている男の子がいました。

失くしたのは切符ではなく、小さなキーホルダーでした。

以前の私なら、「あとで届いていたら連絡できます」と事務的に言って終わらせていたでしょう。

でもその日は、しゃがんで聞きました。

「どんなのだった」

男の子はしゃくりあげながら、「じいちゃんにもらった」と言いました。

私は、少しだけ息をのみました。

結局、そのキーホルダーは売店の横で見つかりました。

渡したとたん、男の子は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま笑いました。

その笑顔を見ていると、なぜだか、終電のあとのホームに立つ祖父の後ろ姿が重なりました。

今でも夜の駅を歩くたび、私は胸の中で祖父に話しかけます。

じいちゃん。

あのときは、ごめん。

あれは紙切れなんかじゃなかったな。

どこかへ行くための約束だったんだな。

返事はありません。

けれど風がホームを抜ける音を聞くたび、私は少しだけ、許されたような気がします。

それは明るい救いではありません。

失ったものが戻るわけでもない。

謝り直せるわけでもない。

ただ、遅すぎた理解が、祈りに変わって残るだけです。

終電後の駅は、今も静かです。

私はそこで、落とし物にタグを結びます。

帰る場所がありますように、と願いながら。

もう会えない人の約束までも、どこかでちゃんと持ち主のもとへ届いていますように、と。

そしてときどき、誰もいないホームの先を見つめながら、私はそっと祈るのです。

いつか私がそちらへ行く日が来たら、そのときはじいちゃん。

今度こそ、海の見える駅までの話を、最初から最後まで聞かせてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました