祖父の財布は、私の明日を守っていた

窓辺のひと時 泣ける話

祖父のことを、私はずっと、けちな人だと思っていた。

 

 言い方は悪いが、ほんとうにそう思っていたのだから仕方がない。

 

 子どもの頃、団地の下の駄菓子屋へ連れて行ってもらっても、「百円までだ」ときっちり言う人だったし、自動販売機の前でジュースをねだれば、「家で麦茶飲めばいい」と真顔で返された。

 

 電気はこまめに消す。

 

 ティッシュは半分に裂いて使う。

 

 輪ゴムも紙袋も、まだ使えると言って何でも取っておく。

 

 私はそういう祖父の暮らしぶりを、貧乏くさいと思っていたし、正直に言えば、少し恥ずかしいとも思っていた。

 

 子どもというのは残酷である。

 

 世話になっている相手ほど、遠慮なく、浅い物差しで量ってしまう。

 

 祖父と私は、母の実家のある団地で長く暮らしていた。

 

 五階建ての古い団地で、うちは四階だった。

 

 外階段は冬になると鉄がひどく冷え、踊り場の窓からは、くすんだ公園と色の剥げたブランコが見えた。

 

 夏は夕方になると、どこかの家のカレーの匂いと、子どもの泣き声と、テレビの音が、廊下の空気に混じった。

 

 新しいマンションみたいな洒落た気配はないが、暮らしが長いあいだ擦れて染み込んだ場所だった。

 

 母は私が高校のころ、病気で亡くなった。

 

 父はその前から別の町で暮らしていて、ほとんど縁が切れていた。

 

 だから、私を育てたのは祖父だった。

 

 弁当を作り、熱が出れば夜通し氷を替え、進路のことで私がふてくされれば、何も言わず味噌汁だけ温め直してくれる人だった。

 

 私はその恩を知らないわけではなかった。

 

 知らないわけではなかったが、恩と感謝は、近すぎる相手にはうまく形にならない。

 

 むしろ、世話になったぶんだけ、雑に甘えてしまう。

 

 私は団地の近くのスーパーで働いていた。

 

 青果の品出しから始めて、いまはレジとサービスカウンターも任されている。

 

 客に声をかけ、値引きシールを貼り、配送の手続きを受け、たまには理不尽な文句も受ける。

 

 忙しいが、考え込まずに済む仕事でもあった。

 

 レジの音は一定で、商品はバーコードを通せば値段を名乗る。

 

 人の気持ちみたいに、曖昧に揺れない。

 

 祖父が財布を気にするようになったのは、一昨年くらいからだった。

 

 食卓に置いてあるか何度も確かめる。

 

 ポケットを叩いて、「ある」と口に出す。

 

 出かけた先でも、レジの前で財布を開いて、札の向きまできっちり整える。

 

 私はそれを見て、またか、と思っていた。

 

 年を取ると、人は余計な心配ばかり増やすらしい。

 

 そういうふうに、少し苛立っていた。

 

 ある晩、仕事から帰ると、祖父が居間で黙って座っていた。

 

 ちゃぶ台の上に、開いた財布があった。

 

 小銭入れまで裏返して、中身が全部出されている。

 

「どうしたの」

 

 と聞くと、祖父は顔も上げずに言った。

 

「一万円札が一枚、足りん」

 

 疲れていた私は、その一言でうんざりした。

 

「また? 昨日コンビニで使ったとかじゃないの」

 

「使っとらん」

 

「勘違いじゃない?」

 

 その「勘違い」という言葉が、祖父を急に怒らせた。

 

「お前までそう言うのか」

 

 お前まで、という言い方に、私は妙に腹が立った。

 

 まるで私が、祖父を馬鹿にする側の人間みたいに聞こえたからだ。

 

「そう言うって何。こっちは仕事で疲れてんだけど」

 

 祖父はそこで黙った。

 

 黙ったまま、財布の札をもう一度数え直した。

 

 指先が少し震えていた。

 

 私はその震えを、老いから来るものだと決めつけた。

 

 老いというのは便利だ。

 

 こちらが理解する努力を怠るための、ずいぶん乱暴な言い換えになる。

 

 それからしばらく、祖父は財布を肌身離さず持ち歩くようになった。

 

 団地のゴミ捨て場へ行くときも、郵便受けを見に行くときも、財布をズボンのポケットへ入れていた。

 

 風呂に入る前には脱衣所のかごの上へきちんと置き、寝る前には枕元へ持っていった。

 

 私はそれがますます気に障った。

 

「そんなに誰も取らないって」

 

 と言うと、祖父は、

 

「わからん」

 

 とだけ答えた。

 

 私は、その「わからん」が嫌いだった。

 

 説明しない人間の逃げ道みたいで、ひどく卑怯に思えたからだ。

 

 けれど卑怯だったのは、あとから考えれば私のほうだった。

 

 わからないなら、わかろうとすればよかったのだ。

 

 私はそれをしなかった。

 

 面倒だったからだ。

 

 仕事が忙しい、疲れている、そんな理由を盾にして、身内の小さな異変を、年寄りの癖のひとつに片づけてしまった。

 

 冬のはじめ、祖父が団地の階段で転んだ。

 

 骨折ではなかったが、足を強く打って、しばらく通院することになった。

 

 私は仕事の前後で付き添った。

 

 整形外科の待合室で、祖父はいつも財布を膝の上に置いていた。

 

 会計のときも、財布から丁寧に金を出した。

 

 財布は古く、茶色の革が擦れて白くなっていた。

 

 母が昔、父の日に贈ったものだと聞いたことがある。

 

 私は、その財布が祖父にとって単なる入れ物ではないことに、薄々気づいていたのかもしれない。

 

 それでも、気づかないふりをしていた。

 

 ある日、通院の帰りにスーパーへ寄った。

 

 祖父は特売の卵の前で立ち止まり、値札を見てから、結局、ひとつ安いほうの豆腐をかごへ入れた。

 

 私はそれを見て、なんだか苛立った。

 

 そんなところで百円二百円を気にして、何になるのだろうと思った。

 

 いま思えば、その百円二百円の向こう側に、祖父なりの計算と祈りがあったのに。

 

 レジ待ちの列で、祖父は財布の口を何度も確かめていた。

 

 私はそこで、とうとう言ってしまった。

 

「そんなにお金お金って、みっともないよ」

 

 言った瞬間、しまったと思った。

 

 けれど、人はほんとうに言ってはいけないことほど、妙に口当たりがよくて、止めるのが遅れる。

 

 祖父は黙った。

 

 店内放送では、鍋つゆの特売を知らせていた。

 

 買い物かごの車輪が床を鳴らして過ぎていく。

 

 そのありふれた生活音の中で、私たちの沈黙だけが、少し場違いだった。

 

 祖父はしばらくして、低い声で言った。

 

「お前に、みっともないと思われるために持っとるんじゃない」

 

 私は何も言えなかった。

 

 怒鳴られたわけでもないのに、その一言はひどく堪えた。

 

 家に帰ってからも、気まずさは続いた。

 

 祖父はいつも通り味噌汁を温め、私はいつも通り茶碗を出した。

 

 会話は必要なことだけになった。

 

 団地の冬は音がよく響く。

 

 隣の家のくしゃみも、上の階の椅子を引く音も聞こえるのに、同じ食卓にいる相手の気持ちだけが、いちばん遠かった。

 

 祖父が倒れたのは、それから二週間後だった。

 

 朝、出勤前に起こしに行くと、返事がない。

 

 布団の中で息はしていたが、顔色が悪く、呼びかけても目を開けない。

 

 救急車を呼び、私はそのまま仕事を休んで病院へ行った。

 

 大事には至らなかった。

 

 脱水と軽い肺炎だった。

 

 高齢者にはよくあることです、と医者は言った。

 

 よくある、と言われるたびに、私はなぜか腹が立つ。

 

 こちらにとっては、たった一人の「よくある」ではないのに。

 

 入院の手続きのために、祖父の持ち物を預かった。

 

 財布もその中にあった。

 

 私は一瞬ためらったが、保険証を確認するために開いた。

 

 札入れの奥に、小さく折りたたまれた紙があり、その下に通帳が挟まっていた。

 

 青い、古い通帳だった。

 

 母の名前が印字されていた。

 

 胸がざわついた。

 

 ページを開くと、長いあいだ少しずつ入金されている記録があった。

 

 毎月一万円、二万円、ある月は五千円。

 

 年金から、祖父がこつこつ移していたらしい。

 

 口座の整理をしながら、私に残すつもりでいたのだとわかった。

 

 最後のページ近くに、祖父の字でメモが挟まっていた。

 

『結婚でも、学校でも、何かの時に使わせる』

 

 それだけなら、まだ私は泣かなかった。

 

 泣いたのは、その次の一行だった。

 

『財布の一万円は、今月これに入れた分』

 

 私は椅子に座り込んだ。

 

 あの日、祖父が何度も数えていた一万円札は、勘違いでも物忘れでもなかったのだ。

 

 ちゃんと使い道があったのだ。

 

 自分のためではなく、私のための通帳に入れた金だったのだ。

 

 それを私は、みっともない、と言った。

 

 さらにメモの裏には、細い字で続きがあった。

 

『年を取ると、金のことを口にするのが恥ずかしい』

 

『恥ずかしいが、お前には、私と同じ苦労をさせたくない』

 

『店の仕事は立ちっぱなしで大変だろうが、若いうちは貯めろと言うと嫌がる顔をするから言わん』

 

『言わんでも、少しずつ残しておけばよい』

 

『母さんがおったら、きっともっと上手に渡しただろう』

 

 私は通帳を閉じた。

 

 閉じても遅かった。

 

 文字は胸の内側に移って、そこで勝手に開いた。

 

 祖父は、私を疑って財布を持ち歩いていたのではなかった。

 

 私のための通帳を守っていたのだ。

 

 忘れないように。

 

 使い込まないように。

 

 いつ何かあっても、すぐ渡せるように。

 

 そして、母の代わりに残せるものを、なんとか自分なりの形にしていたのだ。

 

 みっともないのは、祖父ではなく私だった。

 

 病室で祖父が目を覚ましたのは、その日の夕方だった。

 

 酸素の管をつけたまま、祖父は私を見ると、少しだけ眉を寄せた。

 

「仕事は」

 

 と聞く。

 

「休んだ」

 

「休まんでよかったのに」

 

「そういうこと言うな」

 

 私は自分でも驚くほど、強い声で言った。

 

 祖父は黙った。

 

 私はその黙り方で、また泣きたくなった。

 

「ごめん」

 

 と、私は言った。

 

「この前、ひどいこと言った」

 

 祖父は天井を見たまま、

 

「忘れた」

 

 と言った。

 

 そんなわけがない。

 

 あの人は、傷ついたことほど、口にしないだけでちゃんと覚えている。

 

 私はその不器用さを知っていたはずなのに、見ないふりをしてきた。

 

「通帳、見た」

 

 と言うと、祖父の喉がわずかに動いた。

 

「勝手に見た。ごめん」

 

 祖父はしばらく何も言わなかった。

 

 病室のカーテンの向こうで、誰かの咳がした。

 

 点滴の機械が一定のリズムで鳴っていた。

 

 沈黙というのは、ときどき赦しの前に来る。

 

「言うと」

 

 と祖父は言った。

 

「お前、受け取らんだろ」

 

 私は、返す言葉がなかった。

 

 たしかに私は受け取らなかったかもしれない。

 

 まだ大丈夫だとか、自分でなんとかするとか、そんな見栄を張っただろう。

 

 祖父はそれを知っていて、黙っていたのだ。

 

「母さんがおらんくなってから、お前はずっと一人で頑張りすぎた」

 

 祖父はゆっくり言った。

 

「私は、金くらいしか残せん」

 

 その言葉が、たまらなかった。

 

 金くらい、ではなかった。

 

 祖父は、金だけでなく、弁当も、冬の毛布も、洗い立てのシャツも、風邪の夜の氷枕も、私の人生の細いところをずっと支えてくれていた。

 

 高校の入学式の朝、慣れないネクタイを黙って結び直してくれた手も。

 

 給食が終わって弁当になったとき、焦げた卵焼きを何度も練習してくれた台所も。

 

 スーパーの採用通知が来た夜、「近くでよかった」と小さく笑った横顔も。

 

 ただ、私は受け取るたび当然の顔をして、気づくのが遅れただけだ。

 

 私は祖父の手を握った。

 

 骨ばっていて、皮膚は薄く、けれど手のひらだけはまだ少しあたたかかった。

 

「ありがとう」

 

 その一言を言うのに、ずいぶん長い年数がかかった。

 

 祖父は目を閉じたまま、小さく言った。

 

「お前が困らんほうがいい」

 

 それは愛情というより、ほとんど祈りだった。

 

 退院してから、祖父は前より少し歩くのが遅くなった。

 

 それでも団地の階段は自分で上ると言い張った。

 

 私は後ろから見守りながら、いつかこの背中がいなくなる日を、急に具体的に想像してしまい、息が苦しくなった。

 

 家に帰ると、祖父はいつもの場所に財布を置いた。

 

 ちゃぶ台の上、座椅子の右側。

 

 私はそれを見て、前とは違う気持ちになった。

 

 あれは金のための財布ではなく、祖父の不器用な愛情の置き場所だったのだ。

 

 通帳は、祖父に言われて私が預かることになった。

 

「使うなよ」

 

 と祖父は言った。

 

「ほんとうにいる時まで」

 

「うん」

 

「どうでもいい男に引っかかった時とかに使うな」

 

 私は泣き笑いみたいな顔で、

 

「使わないよ」

 

 と答えた。

 

 祖父は少しだけ笑った。

 

 ああ、この人はまだ笑えるのだ、と私はそのとき、ひどく救われた。

 

 それから私は、給料日になると少しだけ自分でも積み立てを始めた。

 

 たいした額ではない。

 

 けれど、祖父が数字の向こうに込めていた気持ちを、今度は私も受け継いでみたかった。

 

 将来の自分のため、というより、あの人のやり方を、ようやく理解した娘として。

 

 スーパーの仕事は相変わらず忙しい。

 

 客は文句も言うし、閉店前には値引き商品に人が群がる。

 

 レジの音は今日も同じだ。

 

 でも、前より少しだけ、私はやさしくなれた気がする。

 

 少なくとも、誰かの節約を、みっともないとは思わなくなった。

 

 見えないところで、誰かのために残している金があるかもしれないと、いまは想像する。

 

 祖父は今日も団地の窓際で、古い財布を膝に乗せている。

 

 テレビはうるさいくらい鳴っているのに、その横顔だけは妙に静かだ。

 

 私は仕事帰り、サービスカウンターでもらった値引きのパンをひとつ置く。

 

 祖父は財布を脇へよけて、「ありがと」と言う。

 

 私はそのたび思う。

 

 人は、通帳の残高で救われるのではないのかもしれない。

 

 自分がいなくなったあとの相手まで案じて、黙って何かを残そうとする、その気持ちに救われるのだ。

 

 青い通帳は、いま、私の引き出しの奥にある。

 

 たまに開くたび、数字より先に、祖父の字が目に入る。

 

『何かの時に使わせる』

 

 私はまだ、それを使っていない。

 

 使わずに済むなら、そのほうがいいのかもしれない。

 

 けれど、もし本当にどうにもならない日が来たら、私はあの金を、今度はちゃんと受け取ろうと思う。

 

 見栄も遠慮も捨てて、祖父が生涯かけて覚えたやり方で差し出してくれた愛情を、ようやくまっすぐ受け取ろうと思う。

 

 団地の夕方は、窓の数だけ生活の色がある。

 

 煮物の匂い。

 

 子どもの声。

 

 遠くの踏切。

 

 どの部屋にも、うまく言えない思いがひとつくらいあるのだろう。

 

 うちにもある。

 

 けれど、その思いはもう、前ほど暗くない。

 

 ちゃぶ台の上の古い財布と、引き出しの奥の青い通帳が、言葉の足りない祖父の代わりに、まだ私を静かに守ってくれている。

 

 そして私は、このごろようやく思う。

 

 節約というのは、欠けた暮らしの癖ではない。

 

 誰かを明日の困りごとから遠ざけたいと願う、古くて不器用な愛情の形なのだ。

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