父とは、長いこと、会話の火加減が合いませんでした。
弱火で済む話を、なぜか強火にしてしまったり。
ほんとうは沸くまで待たなければならないことを、途中で火から下ろしてしまったり。
そういう、台所じみた不一致です。
私は住宅街の角にあるパン屋で働いています。
駅前の華やかなベーカリーではありません。
朝六時にはシャッターを上げ、食パンを並べ、焼きたての塩パンにトングを添え、昼にはサンドイッチが乾かないようにラップをかけ直す。
売れ残りそうなクリームパンの位置を少し変えたり、子どもの目線に近いところへメロンパンを置いたり、そういう小さな工夫で、どうにか一日を回している店です。
店の前の道を通るのは、通勤の人より、犬の散歩をする人や、保育園へ子どもを送る母親のほうが多い。
だから売れるのも、気取ったパンではなく、あんパンとか、たまごサンドとか、毎日ちゃんと帰ってきてくれる味です。
私はそういうパンが好きでした。
奇跡みたいな味ではなくて、ちゃんと生活の中へ戻っていく味がするからです。
父は、その住宅街で一人暮らしをしていました。
母が亡くなってから、ずっとです。
もともと無口な人でしたが、無口というのは、配偶者がいるあいだは案外うまくごまかせるものらしい。
母が間にいたころは、父の足りない言葉のぶんを、母が勝手に補っていました。
父が「まあ」とだけ言えば、母が「それ、おいしいって意味よ」と通訳し、
父が黙ってテレビを消せば、母が「眠いんだって」と笑う。
そうやって一つの家が、どうにか会話らしい形を保っていたのだと思います。
けれど母がいなくなると、父の沈黙は急に裸になりました。
私はそれが苦手でした。
父もまた、私の忙しさをうまく扱えない人でした。
パン屋は朝が早いぶん、昼過ぎにはいくらか手が空きます。
でも、だからといって暇なわけではありません。
仕込みもあるし、片づけもあるし、立ち仕事のあとの身体には、何もしない時間が少しだけ要る。
その「少しだけ」がないと、人は思っているより機嫌よく生きられません。
けれど父は、そういう微妙な疲れを分からない人でした。
昼過ぎに電話してきて、
「今日、来られるか」
と言う。
理由を訊くと、
「電球が切れた」
「棚がぐらつく」
「風呂の湯がぬるい気がする」
どれも大ごとではないくせに、全部、今すぐ来てほしい口調なのです。
私は最初のうちは行きました。
父の家は店から自転車で十五分ほどで、行けない距離ではなかったし、母がいなくなったあとの家に、あまり人の気配がないことも知っていましたから。
けれど何度目かに、店の片づけが押して、予約の食パンまで焼き上がりが遅れ、足の裏がじんじんする日にまた電話が来て、
「今日は無理」
と、少し強く言ってしまいました。
父はしばらく黙ってから、
「そうか。忙しいんだな」
と言いました。
その言い方が、私は嫌でした。
責めているのか、諦めているのか、どちらとも取れる声だったからです。
「忙しいよ」
と思わず言い返すと、父はまた少し黙って、
「パン屋は朝だけかと思ってた」
と言いました。
私はその一言で、ひどく腹が立ちました。
朝だけ、とは何だ。
小学生の職業見学みたいな理解のしかたで、こっちの暮らしを量らないでほしい。
私はそのまま電話を切りました。
父も、かけ直しては来ませんでした。
それから二か月近く、会いませんでした。
他人ならそれで縁が薄くなるだけですが、親子というのは妙です。
会わないあいだにも、どこかでずっと相手を考えてしまう。
クロワッサンに照りを塗りながら、ふと父の家の古いトースターを思い出したり。
ミルクパンを並べながら、父が甘いものは食べないくせに、母のいたころは半分だけ食べていたことを思い出したり。
忘れているつもりの記憶ほど、生活の端でこちらを見ています。
ある雨の日、店の昼休憩に、私はふと父の家の前を通りました。
配達の帰りでした。
寄るつもりはなかったのです。
ただ、近道だから通っただけで。
けれど、父の家のカーテンが昼間なのに閉まったままで、郵便受けにチラシが少したまっているのが見えました。
嫌な感じがしました。
私は自転車を止め、玄関を叩きました。
返事はありませんでした。
鍵は、かかっていませんでした。
父は居間の椅子で眠っていました。
眠っていた、というより、ぐったり座り込んでいた。
声をかけると目を開けたので、そこでようやく私は息をしました。
熱がありました。
ひどい風邪でした。
病院へ連れて行き、薬をもらい、家へ戻るころには、もう夕方でした。
父は車の中で一度も弱音を吐きませんでした。
そのかわり、何度か小さく咳をして、そのたびに私は、自分の胸の奥で何かが嫌な音を立てるのを聞きました。
たぶん、後悔というのは、ああいう乾いた音がするのです。
家に着いて、私は台所に立ちました。
ろくな食材がありませんでした。
卵と、少し萎れたねぎと、食パンの端。
父らしい冷蔵庫でした。
生きることは放棄していないが、楽しむところまでは戻れていない、という感じの中身でした。
私はパン屋の店員らしくもなく、雑なパン粥みたいなものを作りました。
父は居間で毛布をかぶりながら、黙ってそれを食べました。
食べ終えてから、父がぽつりと言いました。
「うまい」
私はそのとき、なぜか泣きそうになりました。
うまい、の一言くらいで泣きそうになるのだから、人間は弱っています。
いや、弱っていたのは、父ではなく私のほうだったのかもしれません。
父を寝かせたあと、私は台所を片づけました。
流しの横に、白いマグカップがありました。
青い細い線の入った、母が昔使っていたものです。
取っ手の根元にひびが入っているのに、父はまだそれを使っていた。
捨てればいいのに、と思いました。
でも、その「捨てればいい」は、案外むずかしい。
人は物を使っているのではなく、時間を使い続けていることがあるからです。
ふとテーブルの上を見ると、スーパーのレシートが一枚置いてありました。
裏に、何か書いてある。
私は見るつもりはありませんでした。
そう言いたいところですが、私は昔から、見てはいけないものに弱い。
しかも、それは私の名前で始まっていたのです。
――明日、パンを買いに行こうと思う。
そこまで書いてありました。
続きは、少し震えた字でした。
――あいつの店に行くと、いつも忙しそうで、話しかけるタイミングが分からない。
――コーヒーに合うやつを聞きたい。
――あの青いマグに合うものがあるかもしれん。
私はしばらく、そのレシートを持ったまま立っていました。
父は、私に用事を言いつけるばかりの人だと思っていたのです。
自分の不便や寂しさを、ぶっきらぼうにこちらへ投げてくるだけの人だと。
でも違った。
父は父なりに、私の店へ行こうとしていたのです。
客として。
私の働く場所に、私の時間の流れに、少しだけ遠慮しながら入ろうとしていた。
ただ、その入り方が分からなかっただけで。
忙しいんだな、というあの言い方も、責めていたのではなく、戸口の前で立ち止まっていた声だったのかもしれません。
私は急に、あの日の電話のことを思い出しました。
パン屋は朝だけかと思ってた、という一言を、私は無知として受け取った。
でも、もしかするとあれは、もっと単純な、話を続けるための失敗だったのかもしれません。
父はもともと、会話のうまい人ではないのです。
まして、母がいなくなったあとの父は、沈黙の外し方をますます知らなくなっていた。
私はレシートをそっとテーブルに戻し、台所でマグカップを洗いました。
ひびの入った白地に青い線。
湯を入れると、少しだけ明るく見える気がしました。
翌朝、店へ行く前に、私は父の家でコーヒーを淹れました。
冷蔵庫にあった食パンを焼き、店から持ってきた小さなバタークロワッサンを皿にのせた。
父はまだ熱がありましたが、昨日より目がしっかりしていました。
私はマグカップを父の前に置いて、
「そのカップなら、こういうの合うよ」
と言って、クロワッサンを指しました。
父は一瞬、何のことか分からない顔をしました。
それから、テーブルの上のレシートに目をやって、少しだけ咳払いをしました。
照れているのだと、珍しくすぐ分かりました。
「見たのか」
「うん」
父は耳のあたりまで赤くして、
「勝手に見るな」
と言いました。
私は思わず笑ってしまいました。
そういうまともな抗議を、父がするのを久しぶりに見た気がしたのです。
「テーブルの上に出てたし」
と言うと、父はクロワッサンをひとくち食べました。
それから、ほんの少し間をおいて、
「たしかに合うな」
と言いました。
私はそのとき、やっと何かが戻ってくる気がしました。
失ったものが、そのまま戻るわけではありません。
母がいたころの会話も、昔の食卓も、もう帰っては来ない。
でも、なくなったあとの場所に、新しく置けるものはあるのだと、初めて思えたのです。
それはたぶん、派手な和解ではなく、もっと地味なものでした。
マグカップにコーヒーを注ぐこと。
パンを半分に切ること。
レシートの裏に、言えなかったことが少しだけ残ること。
そういう、生活のほうへ戻っていくやり方です。
父の風邪が治ってから、私は週に一度、店の売れ残りではないパンを持っていくようになりました。
父は相変わらず、電話では用件しか言いません。
「今日はいるか」
とか、
「雨が降りそうだ」
とか、その程度です。
でも前より、私は腹を立てなくなりました。
その短い言葉の裏に、前ほど勝手な意味を足さなくなったからです。
ある日、父の家の台所で、私は新しいマグカップを一つ見つけました。
白地に、薄い茶色の縁取りがあるだけの、地味なものです。
「買ったの」
と訊くと、父は新聞から目を上げずに、
「来客用だ」
と言いました。
私は笑いました。
来客というには、私は来すぎている気もしましたが、その言い方が父なりの照れ隠しだと、今は分かります。
それでも、古いほうのマグカップは相変わらず使われていました。
ひびは消えません。
けれど毎朝きちんと洗われて、棚のいちばん取りやすいところに置いてある。
私はそれを見るたびに思うのです。
暮らしというのは、壊れないことではなく、壊れたものをそれでも使い続ける手つきのことかもしれない、と。
ある夕方、帰り際に父が私を呼び止めました。
振り向くと、父はスーパーのレシートを差し出しました。
裏に、また字がある。
私はその場で読むと、そこには短くこう書いてありました。
――次は食パンがいい。
――あのカップには、それがいちばん合う気がする。
私は笑いました。
父は少し気まずそうにして、
「電話だと忘れるから」
と言いました。
それが言い訳なのか、照れ隠しなのか、もうどちらでもよかった。
私はレシートを財布に入れて、
「わかった」
とだけ答えました。
住宅街の夕方は、どこの家も少しずつ夕飯の匂いがして、窓に明かりがつき始めます。
派手な出来事は何もありません。
誰かが帰宅して、洗濯物を取り込み、味噌汁を温め直し、明日の朝のことをぼんやり考える。
そういう時間です。
私は自転車を押しながら、その中に自分も戻っていける気がしました。
生活の再開、というと、もっと大げさな何かを想像していました。
泣いて抱き合うとか、長年の誤解を一気に解くとか、そういうことを。
でも、たぶん違うのです。
再開というのは、パンの匂いのついた服のまま父の家へ上がることかもしれない。
ひびの入ったマグカップに、またコーヒーが注がれることかもしれない。
レシートの裏に書かれた、たった二行を、今度はちゃんと受け取ることかもしれない。
母がいなくなって止まったものは、きっとたくさんあります。
けれど全部が止まったままではない。
朝になればパンは焼けるし、湯を沸かせばコーヒーは入るし、人は言いそびれながらでも、また誰かと暮らしをつないでいける。
そういう当たり前のことを、私は父の家の小さな食卓で、ようやく信じられるようになりました。
明日もたぶん、私はパンを並べます。
父は朝、あのマグカップを手に取るでしょう。
そのくらいのことが、こんなにも救いになるとは、前は知りませんでした。


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