母とは、言葉の寸法が合わないのです。
こう書くと、少し洒落た比喩みたいに聞こえるかもしれませんが、実際はそんな上等なものではありません。
裾の長さが合わない服みたいに、歩くたびにどこかが引っかかる。
そういう、生活のなかの小さな不具合です。
私は商店街のはずれにある書店で働いています。
書店、といっても、いまどき胸を張れるような店ではありません。
駅前の大型店に客を取られ、ネットに注文を奪われ、それでも雑誌と文房具と教科書販売で、どうにか灯りを消さずに済んでいるだけの、小さな店です。
朝はシャッターを半分だけ開けて、平台の本を外へ出し、レジの釣り銭を確かめ、試し書き用のメモ紙を新しいものに替えます。
夕方になれば、売れ残った週刊誌の紐をほどき、日焼けした文庫を奥へ引っ込め、雨の日は入口のマットを何度も絞る。
そういう地味な仕事ばかりです。
でも私は、この店が好きでした。
好き、という言葉は少し明るすぎるかもしれません。
似合っていた、のほうが正しい。
書店員という仕事は、誰かの人生を大きく変える仕事ではありません。
せいぜい、探している本を棚から抜いて渡したり、迷っている中学生に少し背伸びした小説を勧めたり、急にインクが切れて困っている人にペンを一本売るくらいのものです。
けれど、そのくらいのことに人は案外、助けられたりもする。
私は昔から、そういう小さい役目のほうが信用できました。
母は、商店街の反対側で惣菜屋をやっています。
父が死んでから、一人で店を続けてきました。
朝はまだ暗いうちから仕込みを始め、昼前にはコロッケを揚げ、夕方には売れ残りに赤い値引きシールを貼る。
休みの日でも完全には休まない人です。
働き者というのは、たいてい少し乱暴です。
自分を休ませない人は、人の休み方にも厳しい。
母がそうでした。
私が書店で働くと決めたときも、母が最初に言ったのは、応援らしい言葉ではありませんでした。
「本で食べていけるの」
それだけです。
心配だったのだと思います。
今なら分かります。
でもそのころの私は、心配という感情が、言い方ひとつでずいぶん侮辱に似ることを、身にしみて知っている年齢でした。
「食べていけるかどうかで仕事を選ぶわけじゃない」
そう言い返した私の声は、ひどく子どもっぽかったはずです。
今になれば分かります。
食べていけるかどうかは、仕事を選ぶ理由として、かなりまともな部類です。
しかし、そのときの私は、自分の好きなものを軽く扱われたことばかりが悔しかった。
母の言葉の中にある不器用な心配より、表面の棘ばかりを拾ってしまったのです。
それから私たちは、どうもうまく話せなくなりました。
会えば挨拶はする。
商店街の夏祭りや歳末セールでは、隣同士で立つこともある。
けれど、それだけでした。
母は私の店の前を通っても、ガラス越しに中をちらりと見るだけで、入っては来ない。
私は母の惣菜屋の前を通るたび、揚げ物の匂いで少し空腹になりながら、そのまま足を速める。
親子というのは厄介です。
他人なら数日で忘れる程度の言い方を、平気で何年も引きずる。
愛情が深いからではなく、たぶん、どこかで甘えているからです。
どうせ切れない縁だと、互いに思っている。
だから雑になる。
ある年の秋、商店街で小さな古本まつりをやることになりました。
客足を戻すための苦しい企画です。
景気のいい話ではありません。
それでも、何もしないよりはましだと、みんなでのぼりを立て、チラシを作り、うちの店も文庫の均一棚を外へ出すことになりました。
私は朝から値札を貼り、平台を拭き、手書きのポップを書きました。
レジ横には新しいペンを並べました。
その中に、一本だけ少し高い水性ペンがありました。
黒い軸に、金色の細い輪が入っている。
万年筆のまねごとのような顔をした、妙に静かなペンでした。
試し書き用の紙に走らせると、思ったよりやわらかな線が出ました。
書いた文字が、少しだけましな人間の字に見える。
私は何となく、それが母に似合うと思いました。
惣菜屋の伝票を書く手。
値段札を直す手。
閉店後に売上を数える手。
ああいう手には、安いボールペンより、少しだけきちんとした一本のほうが似合う気がしたのです。
もちろん、だからといって買って渡すほど素直ではありません。
似合う、と思うだけ思って、棚へ戻しました。
私はそういう、人にやさしくなる寸前でやめる癖を、ずいぶん長く飼っています。
古本まつりの当日、商店街は久しぶりに少しにぎわいました。
子どもが絵本をめくり、年配の夫婦が時代小説の棚の前で足を止め、昔この町に住んでいたらしい人が、懐かしいねえ、と声を上げる。
うちの店の前には、古本の匂いと新刊のインクの匂いが混ざって漂っていました。
母の店も忙しそうでした。
揚げたてのコロッケの匂いが風に乗って、こちらまで流れてくる。
私はレジを打ちながら、つい何度か、惣菜屋のほうを見ました。
母はエプロン姿で立ち働いていて、以前より少しだけ背中が丸く見えました。
親が老いると、人は急にやさしくなりたくなるものです。
それまで散々、つれなくしておいて。
夕方になって客足がようやく落ち着いたころ、商店街の理事長が血相を変えて走って来ました。
「お母さん、裏で倒れた」
一瞬、誰のことか分かりませんでした。
私が動けずにいると、理事長が苛立ったように言いました。
「惣菜屋のお母さんだよ」
その言い方に腹を立てる余裕もなく、私は店を飛び出しました。
母は店の裏口のところに座り込んでいて、顔色が紙みたいに白かった。
意識はありましたが、息が浅い。
私は膝をついて、母の背中をさすりました。
子どものころ熱を出したとき、たしかにこういう手つきで撫でられた記憶があるのに、自分でやると妙にぎこちない。
母は苦しそうに笑って、
「店、閉めなきゃ」
と言いました。
私は反射的に、
「そんな場合じゃないでしょ」
ときつく言ってしまいました。
その瞬間、母の顔がほんの少し曇りました。
まただ、と思いました。
肝心なときほど、私は言い方を間違えるのです。
ほんとうは、無理しないで、と言いたかっただけなのに。
救急車で運ばれて、検査を待つあいだ、私は母のスマートフォンを預かっていました。
救急隊の人が、家族なら持っていてください、と渡したのです。
古い機種でした。
角が少し欠けていて、画面には細いひびが入っている。
いかにも母らしいと思いました。
物は壊れるまで使う人でしたから。
通知がいくつか来ていました。
仕入れ先からの連絡。
商店街のグループメッセージ。
常連らしい人からの、だいじょうぶですか、という短い文。
その中に、下書き保存の表示が見えました。
見るつもりはありませんでした。
そう言いたいところですが、私は昔から、見てはいけないものに弱い。
しかも、宛先が私の名前だったのです。
開くと、未送信メールでした。
件名はなく、本文だけが途中まで書かれていました。
――あんたの店の前を通るたび、ちゃんとやってるんだなと思います。
――この前、小さい子に本をすすめているのを見ました。
――似合っていました。
私はそこで、画面を持つ手に力が入らなくなりました。
続きがありました。
――この前、ペンを見ていましたね。
――あんたは昔から、物を売るより、誰に何が似合うか見るほうが上手でした。
――言い方がわるくてごめん。
――本で食べていけるの、じゃなくて、食べていけなくても続けたいくらい好きなものがあるのが、少しうらやましかった。
そこまで読んで、私は病院の待合室で動けなくなりました。
母は知っていたのです。
私がどんなふうに店に立っているか。
誰にどんな顔で本を渡しているか。
見ていないと思っていたのは、私だけでした。
それに、あのときの言葉も、否定ではなく、不器用な羨ましさだった。
心配と羨望が混ざって、あんな乱暴な形で口から出ただけだったのです。
人は、近しい相手ほど、きれいにものを言えません。
伝わるだろう、とどこかで怠けている。
甘えているのです。
検査の結果、命に別状はありませんでした。
過労と軽い脱水。
数日休めば大丈夫だと医師は言いました。
私はそこで、ようやく深く息を吐きました。
安心すると、人は泣きたくなるのですね。
それまで押さえていたものが、急に置き場をなくすからでしょうか。
病室で母が目を覚ましたとき、私は何を言えばいいのか分からず、水差しの縁ばかり見ていました。
母のほうが先に口を開きました。
「店、古本まつり、だめになったね」
私は思わず笑ってしまいました。
そういうところが、母なのです。
自分の身体より先に、店や商店街のことを言う。
「またやればいいでしょ」
と言うと、母は少し黙ってから、
「そうね」
と答えました。
それから私がスマートフォンを差し出すと、母は画面を見て、何かを悟った顔をしました。
「見たの」
「うん」
母は目を閉じました。
恥ずかしそうでした。
あの気丈な母が、少女みたいに。
私はその顔を見て、急に胸が詰まりました。
ずっと母ばかりが乱暴なのだと思っていたけれど、私も同じくらい下手だったのです。
言葉の選び方も、謝り方も、やさしさの出し方も。
私は鞄から、あの黒いペンを取り出しました。
古本まつりのあと店へ戻って、結局買ってしまっていたのです。
いつ渡すつもりだったのか、自分でも分からないまま。
「これ」
と差し出すと、母は不思議そうに見ました。
「伝票、書きやすいと思って」
母はペンを受け取って、指でそっと軸を撫でました。
その仕草があまりに静かで、私は泣きそうになりました。
「高そう」
「そんなに」
「もったいない」
「使ってよ」
母は少し笑って、
「ありがとう」
と言いました。
たったそれだけの言葉なのに、私はその場で十年ぶんくらい赦された気がしました。
もちろん、本当は赦しなんて大げさなものではないのでしょう。
ただ、からまった糸の端が、ようやく一本見つかっただけです。
それでも、人はその一本でずいぶん救われる。
母が退院してから、私はときどき惣菜屋へ寄るようになりました。
コロッケを一つ買うだけの日もあるし、閉店後のシャッターを下ろすのを手伝う日もある。
母は相変わらず、言い方が少し乱暴です。
「痩せたんじゃないの」
「ちゃんと食べてるの」
「あんた、また難しい顔してる」
でも、もう私は前ほど傷つきません。
ああ、この人はこういう言い方しかできないのだな、と分かったからです。
そして、私もまた、似たようなものだと知ったから。
商店街の夜は、思っているより静かです。
昼の呼び込みや自転車の音が消えると、店先の明かりだけがぽつぽつ残る。
私は閉店後の書店で、レジ横の試し書き用紙を新しいものに替えます。
母に渡したのと同じペンを、店用にも一本入れました。
そのインクはやわらかく、少しだけ、書いた字をましなものに見せる。
ある晩、母がふらりと店に寄りました。
閉店間際で、客はもういませんでした。
母は雑誌棚を少し見て、それからレジ横のメモ紙に何かを書きました。
買い物の覚え書きかと思ったら、違いました。
そこには、少し癖のある字で、短くこうありました。
――本屋、似合ってるよ。
私は顔を上げましたが、母はもう店の外へ出るところでした。
呼び止めるほどのことでもない気がして、私はそのメモをしばらく見ていました。
未送信メールがあって。
渡しそびれたペンがあって。
閉店間際のメモが一枚ある。
和解というのは、たぶん抱き合って泣くことではないのでしょう。
こんなふうに、言えなかったことが少しずつ形を変えて届くこと。
その紙切れを、捨てずに引き出しへしまっておくこと。
そのくらいの、静かなことです。
今も私は、ときどき母の未送信メールを思い出します。
送られなかった言葉が、かえって深く残ることがある。
人はみな、言い方を間違えながら、それでも誰かを気にかけて生きているのかもしれません。
商店街の朝、私はシャッターを上げます。
向かいでは、母が油を温めています。
湯気の向こうで、母がこちらを見て、ほんの少しだけ顎を上げる。
挨拶にもならない、ぶっきらぼうな合図です。
私はそれに、小さく頭を下げます。
それで充分なのだと思います。
あの人と私には、たぶん、これくらいの和解がちょうどいい。
やわらかいインクみたいに、少しにじみながら、それでもちゃんと読める和解が。
心が疲れているあなたへ
この物語は、すれ違いや後悔の中でも、
人の想いはちゃんと残り続けるということを教えてくれます。
もし今、誰かに対して誤解やわだかまりがあるなら、
少しだけ立ち止まって、相手の気持ちを考えてみてください。
あなたの中の“後悔”が、
やさしい形でほどけていきますように。
他の泣ける話はこちら 「卵焼きがほどく、言えなかったごめん」
「心が疲れているときに見られるサインと対処法」 心が疲れているときに見られるサインと、やさしく整える方法


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