雪国の朝は、明るくなるまでに、少し時間がかかる。
空はいつまでも灰色で、町はまだ眠ったままのように静かだ。
私は郵便配達員で、冬になるたび、朝の冷たさにいまだ慣れきれない。
手袋の中で指をこすりながら、赤い配達用バイクのエンジンをかける。
白い息がふっと立って、それだけが、私がちゃんと生きている証拠のように見えた。
郵便局の仕分け台には、その日も、たくさんの封書や葉書や小包が並んでいた。
請求書もあれば、祝いの便りもある。
見舞いの品もあれば、誰かが誰かを諦めるための手紙だってある。
こちらは中身を知らないまま、それらを平等に運ぶ。
ずいぶん無責任な仕事のようでいて、実のところ、ひとの人生の端っこを、毎日そっと持たされている仕事でもある。
私はこの仕事が嫌いではなかった。
黙って運ぶだけでいい、というところが、たぶん自分に向いていたのだと思う。
言えなかったことや、言いそびれたことを、私は昔から胸の中に溜めこむ癖があった。
そういう人間には、手紙を運ぶ仕事は妙に似合う。
その朝、一通の封書が、仕分けの束の中で妙に目についた。
白い封筒だった。
派手でもないし、特別上等でもない。
けれど宛名の字に、見覚えがあった。
佐伯健司様
私の高校時代の恩師だった。
国語教師で、古典を教えていた。
痩せた体に古びた背広を着て、咳をすると肩まで揺れるような人だったが、黒板に一行だけ詩を書いたときの教室の静けさは、いまでも忘れられない。
先生は言葉を教えるというより、言葉に居場所を与える人だった。
私は高校時代、あまり目立たない生徒だった。
友人がいなかったわけではないが、胸を張って何かを好きだと言えるような人間でもなかった。
帰宅部で、成績も中くらい、顔も中くらい、性格にいたっては下の中くらいだったと思う。
けれど作文だけは、なぜだか先生が褒めた。
褒めるといっても、「上手い」とは言わなかった。
「君の文章には、ひとを困らせる湿り気がある」と、そう言った。
私は褒められたのか貶されたのかよくわからなかったが、その夜、うれしくて眠れなかった。
卒業してからも、先生はときどき手紙をくれた。
季節のこと、本のこと、教え子の誰それが結婚したこと、校庭の桜が今年も見事だったこと。
どれも大事件ではない。
だが、手紙というのは、大事件でないことを書くからこそ、かえって胸に残る。
私が郵便配達員になったと知ったときも、先生は便箋二枚を使って、ずいぶん喜んでくれた。
「手紙に一番近い職業だ」と書いてあった。
私はその文を、しばらく財布にしまって持ち歩いていた。
なのに、私はだんだん返事を書かなくなった。
書かなかったというより、書けなかった。
父が倒れたのは、その頃だった。
脳梗塞だった。
命は助かったが、半身に麻痺が残った。
母はずっと前に家を出ていて、結局、私が仕事の合間に病院へ通い、手続きやら洗濯やら、そういう細かくて果てのないことを引き受けるしかなかった。
私は疲れていた。
たいそう立派な苦労ではない。
世の中にはもっと重い荷物を背負って平気な顔で歩く人がいくらでもいる。
それでも、その当時の私には、誰かに丁寧な返事を書く気力がなかった。
机に便箋を出しては、何も書けずにしまう。
そのうち一週間が経ち、ひと月が経ち、季節が一つ過ぎた。
やっと出した返事は、ひどく愛想のないものだった。
「仕事が忙しく、返事が遅くなりました」とだけ書き、父のことにも触れなかった。
書けば、弱音になりそうで嫌だった。
弱音というのは不思議で、吐いた途端に本当に自分を弱くしてしまう気がする。
その後、先生からまた手紙が来た。
短い文だった。
「雪がやんだら、駅前の喫茶店で会いませんか」とあった。
私は行った。
行ってしまったことが、たぶんあの日の不幸だった。
喫茶店は古い店で、ストーブの上に銀色のやかんが置いてあった。
窓際の席に先生が座っていた。
昔より少し小さく見えた。
髪も白くなっていた。
それなのに、私の顔を見ると、先生はいつもと同じように少し目を細めて、懐かしそうに笑った。
私はその笑顔に、なぜか腹が立った。
勝手な話である。
自分が返事をしなかったくせに、相手が変わらずにいてくれると、それだけで責められている気がすることがある。
先生はコーヒーをひとくち飲んでから、静かに言った。
「返事くらい、早くしなさい」
その声色は、叱るというより、たしなめるようなものだった。
けれど、その頃の私は、正しさに触れるとすぐ傷つく人間になっていた。
父の見舞いと仕事で眠れない日が続いていたし、自分でも気づかないうちに、胸のどこかが擦り切れていたのだと思う。
私は笑ってごまかすこともできたはずだ。
「すみません、最近ばたばたしていて」と言えば済んだはずだ。
なのに私は、子どもみたいに黙りこんでしまった。
先生は続けて言った。
「手紙はね、相手の時間を預かるものだから」
私はその言い方に、ひどく反発した。
時間を預かる。
きれいな言葉だ。
きれいすぎる、と私は思った。
こっちは生きるだけで精いっぱいなのに、時間だの礼儀だの、そういう整った言葉で量られたくなかった。
結局、その日、私はろくに話もせず店を出た。
先生が会計のあとで、「春になったら裏山の桜を見に行こう」と言ったのを覚えている。
私は曖昧にうなずいた。
それが約束になっていたとは、そのときは思わなかった。
それから、私は先生の手紙に返事をしなかった。
意地だったのかもしれない。
疲れだったのかもしれない。
どちらにしても、ひどくみっともない話だ。
三年が過ぎた。
父は亡くなった。
葬式のあと、遺影の前で泣けなかった自分を、私はしばらく嫌いだった。
悲しみというものは、ちゃんとした順番で来るとは限らない。
泣くべきときに泣けず、どうでもいい夜に急に嗚咽がこみあげる。
私はそういう不器用な心のまま、毎日郵便を配っていた。
そして今朝、先生宛ての封書を見つけたのだった。
薄い水色の便箋が入っているらしい、かすかな膨らみ。
差出人の名前までは見ないようにした。
職務上、それが礼儀だ。
けれど、その封筒を手にした瞬間、どうしてだか、胸の奥に嫌な冷たさが走った。
私は先生の住む家へ向かった。
町外れの坂道は雪に埋もれ、タイヤの跡だけが細く続いていた。
先生の家は昔と変わらない木造の一軒家で、軒先には長いつららが下がっていた。
呼び鈴を押しても、すぐには返事がなかった。
二度目を押して、ようやく戸が開いた。
出てきたのは、五十くらいの女性だった。
目元が先生によく似ていた。
娘さんなのだとすぐわかった。
「郵便です」と私が言うと、その人は私の胸の名札を見て、小さく息をのんだ。
「……野上さん、ですか」
私は驚いて顔を上げた。
「父から、名前をよく聞いていました」
そのあとに続いた言葉は、ひどく静かだった。
「父は、先月亡くなりました」
雪が音を吸いこむというのは本当だ。
その瞬間、世界がいっそうしんとして、私の呼吸だけがやけに大きく聞こえた。
先月。
つまり、もう私は、先生に返事を出す機会を永久に失っていた。
失っていたのに、それを、今この玄関先で初めて知ったのだった。
私は封書を差し出した。
手が少し震えた。
娘さんはそれを受け取り、すぐには家の中にしまわなかった。
封筒を見つめて、しばらく黙っていた。
それから、ふと思い出したように私を呼び止めた。
「待ってください」
彼女は奥へ戻り、ほどなくして一通の封筒を持ってきた。
表に、私の名前が書いてあった。
見慣れた、あの几帳面な字だった。
「父が、これは野上さんが来たら渡してくれって」
私はその場で受け取ったが、すぐには開けられなかった。
娘さんは少しためらってから、言いにくそうに続けた。
「父、最後まで手紙を書いていました」
「返事をもらうのも好きだったけれど、待つのも嫌いじゃないって、よく言っていました」
「あなたのことも、怒ってなんかいませんでした」
私はうなずこうとしたが、うまくできなかった。
喉のあたりに、何か固いものが詰まったみたいだった。
配達を終えたあと、私はアパートへ戻った。
狭い台所にストーブをつけ、やかんをかけた。
部屋の中は古い灯油の匂いがした。
ようやく私は、先生の封筒を開いた。
中には、水色の便箋が二枚入っていた。
字はいつも通り端正だったが、どこか力が弱かった。
病気だったのかもしれない、とそのとき初めて思った。
私は便箋をひらいた。
――野上へ。
たったそれだけで、胸が詰まった。
先生はもうこの世にいないのに、呼びかけだけは、いまここで私に向かって発音されたみたいだった。
続きを読む。
――この前、返事が遅い、と言ったが、あれは半分まちがいでした。
私はそこで一度、目を閉じた。
半分まちがい。
先生はそういう言い方をする人だった。
全部こちらが悪かった、とは言わない。
全部自分が悪かった、とも言わない。
人間の不出来を、片側だけでは裁かない人だった。
便箋を持つ手が、少し濡れていた。
涙が落ちていた。
私は気づくのが遅れた。
――手紙は相手の時間を預かる。
――そう言ったけれど、待つ時間もまた、手紙の一部です。
――人は忙しい。
――傷ついているときは、なおさら返事が書けません。
――わたしは教師の癖で、正しいことを先に言ってしまった。
――君を急かしたのなら、すまなかった。
私は声を出さずに泣いた。
泣き方を忘れていたような顔で、ただ肩だけが静かに揺れた。
あの日、喫茶店で私が先生に言えなかったことを、先生のほうが先に理解していたのだ。
私は勝手に裁かれたと思いこみ、勝手に傷つき、勝手に距離を置いた。
先生は、その勝手さごと、たぶんわかっていた。
続きを読む。
――郵便配達員になった君へ、いつか言おうと思っていたことがあります。
――届ける仕事は、ただ物を運ぶだけではありません。
――遅れて届くものもある。
――届いたときには、もう手遅れに見えるものもある。
――それでも、届くことに意味がある。
ここで、私の記憶の奥から、一つの場面が浮かんだ。
高校二年の冬だった。
授業が終わった放課後、私は国語準備室に呼ばれた。
作文コンクールに出した原稿を、先生が返してくれたのだ。
原稿用紙の隅に、赤字で短く書いてあった。
「遅れて言えることもある」
その意味を、その頃の私はよくわかっていなかった。
いまようやくわかった気がした。
人はたいてい、ちょうどいい時刻にちょうどいい言葉など言えない。
間に合わなかったと思ったあとでしか、言えないことがある。
先生はそれを、ずっと前から知っていたのだ。
便箋の最後のほうに、こうあった。
――春になったら、裏山の桜を見に行こう。
――あの約束を、もし君がまだ覚えているなら。
――わたしは先に待っています。
そして、最後に追伸が添えられていた。
――返事は急がなくてよろしい。
私はその一文で、とうとう堪えきれなくなった。
泣くというより、崩れるというほうが近かった。
狭い台所で、私は声を殺して泣いた。
人間が本当に泣くときには、広い部屋は向かない。
狭い場所のほうが、自分の情けなさを逃がさずに済む。
私は父の葬式でも、こんなふうには泣けなかった。
先生の手紙が、父のことまで一緒にほどいてしまったのかもしれない。
返せなかった言葉。
間に合わなかった謝罪。
言えばよかった「ありがとう」。
人は案外、それだけで一生つまずく。
私は押し入れから、使いかけの便箋を探し出した。
安物の白い便箋だった。
先生の水色ほど上品ではない。
けれど、いまの私にはそれで十分だった。
万年筆にインクを入れ、机に向かった。
先生へ、と書いた。
亡くなった人に手紙を書くのは、少し滑稽だ。
だが、滑稽なことをしなければ生きていけない夜というものがある。
私は返事が遅くなったことを詫びた。
あの日、喫茶店で腹を立てていたことも書いた。
父の介護で、心が荒れていたことも書いた。
ほんとうは助けてほしかったくせに、そんなことは口に出せなかったことも書いた。
作文を褒められた夜、うれしくて眠れなかったこと。
財布にしまっていた先生の手紙を、ぼろぼろになるまで持ち歩いていたこと。
郵便配達員になれたのは、先生の言葉がどこかで支えてくれていたからだということ。
そして最後に、約束を書いた。
雪が解けたら、裏山の桜を見に行きます、と。
先生が先に待っているのなら、今度はあまり遅れないようにします、と。
書き終えるころには、窓の外の雪が少し弱まっていた。
夜の底で、町はひどく静かだった。
その静けさの中に、不思議と、もう孤独だけではないものが混じっていた。
翌朝、私は配達の前に、先生の家の近くのポストへその手紙を入れた。
宛先は書かなかった。
書ける住所がなかったからだ。
ただ白紙の封筒に、佐伯先生へとだけ記した。
ばかなことをしていると思った。
けれど、差し出した指先は、昨日より少しだけ温かかった。
春になれば、私はきっと裏山へ行くだろう。
先生の娘さんにも声をかけるかもしれない。
坂道をのぼって、まだ冷たい風の中で、桜を見るのだろう。
そこに先生はいない。
いないけれど、不在というものにも、ひとを支える形があるらしい。
見えないからこそ、長く残るものもある。
郵便は、ときどき遅れて届く。
けれど、遅れたからといって、すべてが無駄になるわけではない。
間に合わなかったと思っていた言葉が、雪の夜を越えて、ひとの胸のいちばん静かな場所へ着くことがある。
私は今日もまた、郵便鞄を肩にかける。
白い息を吐きながら、まだ見ぬ誰かの手紙を運ぶ。
それは、謝罪かもしれない。
告白かもしれない。
別れかもしれない。
あるいは、やっと遅れて届いた約束かもしれない。
そう思うと、雪道を走るバイクの震えさえ、すこしだけやさしいものに思えた。


コメント