父がいなくなって、三か月が過ぎた。
いなくなった、という言い方は、少し卑怯かもしれない。
死んだのだ。
ちゃんと、死んだ。
病室の白い天井の下で、二度と起き上がらない身体になって、私の知っている声も、癖も、歩き方も、あの人のうちからきれいに抜け落ちてしまった。
なのに私はいまだに、父のことを「死んだ」と口にするたび、どこかで嘘をついているような気がする。
人が死ぬというのは、事実としてはひどく単純なのに、感情のほうはなかなか追いつかない。
追いついたころには、たいていもう遅い。
向こうは、こちらの理解を待ってはくれないからである。
私は郊外の駅前にある小さな塾で働いている。
中学生に国語を教えている。
駅前といっても、大きな駅ではない。
快速は止まらないし、駅ビルもない。
あるのはコンビニとドラッグストアと、昔からあるらしい喫茶店と、学習塾が何軒か並んだ雑居ビルだけだ。
夕方になると、ロータリーには送迎の車が並び、制服姿の子どもたちと、買い物帰りの年寄りと、くたびれた会社員が、同じ改札をくぐっては散っていく。
私はその流れの脇で、毎日、誰かの受験と、誰かの焦りと、誰かの親の期待を相手にしている。
そう言うと、いくぶん立派に聞こえる。
だが実際の私は、そこまで出来た人間ではない。
授業が終わればぐったりするし、愛想のない生徒には腹も立つ。
保護者面談では丁寧な顔をつくりながら、内心では一秒でも早く終わってくれと願っている。
教師というのは、案外、善人の職業ではない。
いや、少なくとも私は違う。
疲れやすくて、自分のことばかり考えている人間だった。
父とは、長いこと、うまくいっていなかった。
子どものころは、そうでもなかったと思う。
厳しい人ではあったが、不機嫌な人ではなかった。
朝はいつも同じ時間に起き、同じ湯呑みで茶を飲み、同じ順序で新聞をめくり、同じようにネクタイを締めて出勤していった。
規則正しい、というより、几帳面だったのだろう。
父は手帳をつける人だった。
黒い革の、小さな手帳だった。
予定だけではなく、天気や、読んだ本のことや、その日食べたものまで細かく書いていた。
子どもの私は、それが妙に不思議だった。
ある晩、夕飯のあとに訊いたことがある。
「そんなの書いて、何になるの」
父は手帳から顔も上げずに言った。
「忘れないためだ」
たったそれだけだった。
私は子ども心に、その答えが少しこわかった。
忘れないため、というのが、まるで人間の気持ちまで記録してしまいそうに聞こえたからだ。
私は昔から、父の言い方が少し苦手だった。
飾りがなく、ぶっきらぼうで、余分な慰めがない。
正しいことを言っているのに、その正しさばかりが先に届いて、体温のほうはいつもあとから遅れてやって来るような話し方だった。
成績が下がったときには、「勉強不足だな」。
部活で補欠になったときには、「実力だろう」。
大学受験に失敗したときには、「次だな」。
塾講師になると決めたときには、「食っていけるのか」。
どれも、べつに間違ってはいない。
だから余計に、私は傷ついた。
慰めがないくせに、反論もしにくい。
相手の言葉が冷たいのではなく、自分がぬくもりばかり期待していたのかもしれない。
けれど人は、そういうとき、相手の不器用さより先に、自分の傷のほうを信じるものである。
父が倒れたのは、去年の冬だった。
脳梗塞だった。
一命は取り留めたが、言葉が前のようには出なくなった。
短く、途切れ途切れにしか話せない。
それが父には、何より堪えたらしい。
もともと多弁な人ではなかったが、話せないとなると、ますます黙った。
私は見舞いに通った。
通った、という言い方も、いくぶん見栄である。
週に一度か二度、仕事の帰りに少し寄るだけだった。
病室で私は、天気の話をした。
駅前の工事が長引いている話もした。
塾の中三が今年は落ち着かないとか、模試の結果が散々だったとか、そんな話もした。
父はベッドの上でこちらを見て、たまに頷いた。
そして何かを言おうとして、うまく言えず、眉を寄せた。
私はその顔を見るのがつらかった。
つらい、というのは半分は本当で、半分は言い訳だった。
見ていると、自分が逃げているのがよく分かったからだ。
本当は、もっと長くいられた。
本当は、沈黙の中に座っているだけでもよかった。
けれど私はいつも、時計を見てしまった。
「じゃあ、また来るよ」
そう言って立ち上がるたび、父は一度だけ大きく頷いた。
その頷きが、引き留めているのか、気を遣っているのか、私には最後まで分からなかった。
父が死んだのは、その春だった。
退院して自宅で療養していたある朝、眠るように息を引き取った。
苦しまなかった、と母は言った。
そういう慰め方をされるたび、私は少し腹が立つ。
苦しまなかったから何だというのだろう。
残された者は、ちゃんと苦しい。
その不公平な仕組みに、私はまだ慣れない。
葬儀が終わってしばらくして、母から連絡があった。
「お父さんの机、少し片づけるから、時間あるなら来て」
休日の昼、私は実家へ行った。
郊外の駅前から二駅先の、古い団地の一室だった。
子どものころには広く感じた部屋が、いまはずいぶん小さく見えた。
玄関には父の革靴がまだ揃えて置かれていた。
さすがにもう履く人はいないのに、母は捨てられなかったのだろう。
そういうものが、家のあちこちに残っていた。
居間の時計の下に置かれた老眼鏡。
冷蔵庫に貼られた町内会の日程表。
父の字で「電球」とだけ書かれたメモ。
生活というのは、死んだ人の気配を、案外しつこく部屋に残すものらしい。
父の机は窓際にあった。
きっちり揃えられた本、ペン立て、眼鏡ケース、電卓。
まるで今から帰ってきて、何事もなかったように椅子へ座りそうだった。
そういう気配が、いちばん残酷である。
引き出しを開けると、古い手帳が何冊も出てきた。
年ごとに、きれいに並べてあった。
私はなんとなく、そのうちの一冊をめくった。
仕事の予定、通院日、町内会の掃除、母の誕生日、私が塾の面談で忙しい日まで書いてある。
そこに自分の名を見つけて、私は少し嫌な気分になった。
見張られていたような気がしたのだ。
もちろん、そんな大げさなものではない。
ただ父は、家族の予定も自分の手帳へ丁寧に書き込む人だった、というだけだ。
なのに私は勝手に、息苦しくなった。
そういうところが、父に似ている。
嫌だと思っていた相手の癖ほど、自分の中でよく育つものらしい。
手帳をさらにめくっていると、春の欄に、私の名前が何度も出てきた。
「七時 亮と夕食」
「亮 塾、面談」
「亮 誕生日、連絡」
その簡素な文字の並びが、妙に胸に刺さった。
父は父なりに、私のことを日々の予定の中へ入れていたのだ。
私はそのころ、そんなことも知らずに、あの人は私に興味がないのだと思っていた。
最後のページのあいだに、小さなメモが挟まっていた。
母が横から覗き込んで言った。
「あ、それ、病院でもらった紙じゃない」
見ると、音声ファイルの保存先らしいURLと、簡単な説明が書かれていた。
言語療法の記録、という文字が見えた。
リハビリの一環で、言葉の練習を録音したのだろう。
私はその紙を持ち帰った。
母は「要るなら持っていきなさい」と言ったが、その声にも少し緊張があった。
父の声を聞くのが、母にもこわいのだろうと思った。
その日の夜、アパートで一人になってから、私はスマートフォンでそのURLを開いた。
短い録音が一件だけ残っていた。
再生ボタンを押すまでに、妙に時間がかかった。
別に、幽霊が出るわけでもないのに。
父の声だった。
少し掠れていて、ところどころ途切れていた。
『……しゅっぱつ、まえに』
そこで数秒、息を整える音が入った。
『……ことばは、ちゃんと……えらべ』
私は思わず、画面を見た。
続きがある。
『おれは……それが、へただった』
そのあと、小さく咳をして、また間が空いた。
『ただしい、だけじゃ……だめだ』
私は、息をするのを忘れた。
耳の奥が、しんとした。
『おまえに……いうときも』
そこでまた、長い沈黙が入った。
録音を止めようかと迷ったころ、ようやく次の声が落ちてきた。
『がんばれ、を……まちがえた』
私はスマートフォンを持ったまま、床に座り込んだ。
父は、私にずっと「がんばれ」と言っていた。
もっと勉強しろ。
甘えるな。
社会は甘くない。
食っていけるのか。
どれもたぶん、あの人なりの「がんばれ」だった。
私はそれを、否定と受け取った。
突き放されたと思った。
信用されていないのだと決めつけた。
けれど父は、あの不自由な口で、それが間違っていたと言っていた。
それだけでは足りなかったと、認めていた。
録音はまだ続いていた。
『ほんとは……』
かすかな笑い声のような、息の漏れのようなものが入った。
『えらい、と……おもってた』
そこで音声は終わった。
たったそれだけだった。
たったそれだけなのに、私はどうしていいか分からなくなった。
泣く、というのは案外、立派な行為である。
悲しいからすぐ泣けるほど、人の心は素直ではない。
私はしばらく何もできなかった。
ただ、録音の止まった画面を見ていた。
父の「えらい」は、たぶん「偉い」ではなく、「えらいな」のほうだったろう。
よく頑張っているな、という、あの人なりの不器用な賞賛だったのだろう。
そんな簡単なことに、死んでからようやく気づくとは、私もなかなか救いようがない。
その夜、私は父の手帳を開いたまま眠れなかった。
ページの端には、小さな癖まで残っていた。
濁点が少し右へ寄るところ。
数字の七だけ、妙に鋭く跳ねるところ。
それを眺めていると、父が机に向かっている姿が浮かんだ。
黙って、背中を丸めて、何でもないことを記していく姿だった。
あの人は、言えないことを、ずっと別の方法で残していたのかもしれない。
口ではうまく渡せないものを、予定や記録や、小さな手帳の余白の中へ、黙って置いていたのかもしれない。
翌日、私は塾へ行った。
夕方の駅前はいつも通りだった。
ロータリーに車が停まり、改札から学生が吐き出され、風の強いホームではアナウンスが少し割れて聞こえる。
私は教室に入る前、しばらく改札を眺めていた。
人はみな、どこかへ出発していく。
学校へ行くための出発もあれば、家へ帰るための出発もある。
逃げるための出発もあるし、戻るための出発だってある。
父はもう、どこへも行かない。
けれど私は、まだ行ける。
そう思った。
その日の授業で、中学三年の男子が小テストを机に投げるように出した。
「無理です」
「どうせ俺、国語苦手なんで」
以前の私なら、たぶん言っていただろう。
「苦手で済ませるな」
あるいは、
「努力不足だな」
正しい。
たぶん、正しい。
だがその正しさのせいで、人は案外、簡単に黙る。
私は答案を見た。
それから、その子の顔を見た。
「そっか」
まず、そう言った。
少年は少し驚いた顔をした。
「でも、おまえ、前より書けてるよ」
彼は眉をひそめたまま、黙っていた。
「この答え方、前はできなかっただろ」
「苦手でも、ここまでは来てる」
「次は、ここを一緒に直そう」
自分でも少し照れくさいことを言っていると思った。
父なら、こんな前置きはしなかっただろう。
いや、したくても、たぶん出来なかったのだろう。
けれど私は、父の失敗のあとを、そのまま歩かなくてもいいはずだった。
少年はふてくされた顔のまま答案を見た。
だが、さっきまでの投げやりな目ではなかった。
それだけで十分だった。
授業の帰り、私は駅前のベンチに少し座った。
鞄の中には、父の手帳が一冊入っていた。
いちばん最後の年のものだ。
そこには相変わらず、天気や予定や、どうでもよさそうな晩飯の記録まで書かれている。
私は今日の日付のところを開いて、ひどく迷った末に、一行だけ書いた。
『言い方を変えてみた』
父の字には似ても似つかない、頼りない字だった。
けれど、それでよかった。
継ぐというのは、同じになることではない。
不器用なものを、不器用なまま受け取って、少しだけ形を変えて先へ渡すことなのだろう。
ホームに電車が入ってきた。
風が起き、アナウンスが鳴り、ドアが開く。
私は立ち上がった。
父のいない世界は、思ったより静かで、思ったより普通で、だからこそ時々、ひどく堪える。
それでも改札の向こうには、今日も誰かの帰り道があり、誰かの出発がある。
私も行くのだと思う。
うまく言えなかった人のぶんまで、せめて少しは、言葉を選びながら。
電車に乗る直前、私はスマートフォンの中の録音を、もう一度だけ再生した。
『……えらい、と……おもってた』
その掠れた声は、夕方の冷たい風のなかで、驚くほどやさしく聞こえた。
私はそのとき初めて、父に見送られている気がした。
だから振り返らず、そのまま電車に乗った。


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