病院の夜勤というものは、時間の流れ方がどこか歪んでいる。
午前二時のナースステーションでは、時計の針だけがやけに律義で、こちらの心拍だけが少し遅れている気がする。
モニターの光。
点滴の滴る音。
眠れない患者さんの小さな咳。
廊下を押していくワゴンの、抑えた車輪の音。
そういうものに囲まれていると、生きることは案外、派手なものではなく、ただ細かく持ちこたえることなのだと思わされる。
私は看護師になって十年になる。
三十二歳。
もう新人の顔ではないのに、いまだに白衣の胸ポケットへペンを差すたび、少しだけ背筋が伸びる。
この仕事は、慣れたと思った瞬間に足元をすくわれる。
人の命のそばで働く、という言い方は立派すぎるが、とにかく、こちらの都合のよい成熟など許してくれない場所ではある。
私が看護師を志したのは、ひとりの人のせいだった。
恩師、と呼んでよいのだと思う。
看護学校の実習指導者だった、野中先生。
病棟の看護師長で、背が高く、声が低く、白衣の袖口まできちんとしている人だった。
優しい先生ではなかった。
少なくとも、学生にとって都合のいい優しさを見せる人ではなかった。
「泣く前に記録を書きなさい」
「かわいそう、で済ませるなら現場にいないほうがまし」
「患者さんを見なさい。自分の気持ちばかり見るな」
言葉だけ抜き出せば、冷酷に聞こえるかもしれない。
実際、私はよく怖がっていた。
実習中、緊張で採血の準備を間違えたときも、受け持ち患者さんの家族にうまく答えられず黙ってしまったときも、先生は慰めなかった。
ただ、誤魔化すな、という顔でこちらを見た。
私はそれが苦手だった。
いや、苦手というより、傷ついていたのだと思う。
子どものころから、私は「頑張ってるね」と言われることで何とか立ってきた人間だから、頑張りそのものを評価しない先生の態度に、何度も心が拗ねた。
そんなある日、受け持ちだった末期がんの患者さんが急変した。
私は何もできなかった。
できなかった、というのは正確ではない。
指示されたことはした。
酸素、バイタル、記録、家族への導線。
けれど心がまるで追いついていなかった。
患者さんの奥さんが泣き崩れる横で、私は何も言えず、ただ立ち尽くしていた。
その夜、実習記録を書きながら私は泣いた。
患者さんが亡くなった悲しさより、自分の無力さのほうが先に涙になっていた。
そこへ見回りに来た野中先生が、私の記録を見て、短く言った。
「あなたは、優しいふりが上手ね」
私はその言葉を、一生忘れないと思った。
頭を殴られたようだった。
優しいふり。
そう言われた瞬間、私は自分の中の何かをひどく侮辱された気がした。
私は本気で傷ついた。
本気で看護師になりたかった。
患者さんが苦しいのも、家族がつらいのも、本気でつらかった。
なのに、ふり、だなんて。
その言葉を最後に、私は実習を終えても先生に心を開けなかった。
卒業のとき、先生は「続けなさい」とだけ言った。
私は「ありがとうございました」と頭を下げたが、胸の中ではまだあの一言が棘のままだった。
それでも看護師になった。
なってしまえば、現場は実習よりずっと容赦がなかった。
患者さんは教科書どおりには苦しまないし、家族はマニュアルどおりには泣かない。
夜勤明けの足でコンビニに寄り、白いおにぎりを噛みながら、自分がちゃんとした看護師なのか分からなくなる朝も何度もあった。
ある患者さんの家族に、もっと早く気づいてほしかったと言われて、トイレで吐いた日もある。
看取りのあと、申し送りでは平静を装いながら、更衣室で靴紐を結べずに泣いた日もある。
そのたび、悔しいことに、先生の言葉がどこかで役に立った。
かわいそうで終わるな。
自分の感情に酔うな。
見落とすな。
私は反発しながら、少しずつその言葉で仕事をしていた。
野中先生が倒れたと知ったのは、今年の春だった。
脳腫瘍。
進行が速く、もう治療は難しいという。
転院先として選ばれたのが、たまたま私の勤める病院だった。
私は最初、その情報を聞き間違いだと思った。
あの先生が、患者になるなど、どこか世界の構造に反している気がした。
先生は個室に入った。
痩せていた。
髪も少なくなり、頬は落ち、それでも腕時計だけは昔と同じものをしていた。
丸い文字盤に細い革ベルト。
実習のとき、時間確認のたびにちらりと見えていた、あの腕時計だ。
先生は私を見ると、少しだけ目を細めた。
「……いるのね」
その声は弱っていたが、言い方の癖だけは昔のままだった。
私は看護師として頭を下げた。
けれど胸のどこかで、学生のころの私がまだびくついていた。
先生の病状は日ごとに進んだ。
意識のある日もあれば、痛みで話せない日もあった。
私は担当を外してもらうこともできたのに、しなかった。
それが仕事だから、というのは半分本当で、半分は、自分でもよく分からない意地だった。
逃げたくなかった。
逃げたら、あの十年前の言葉からも、いまだに逃げ続ける気がした。
先生は弱音を吐かなかった。
痛みの評価を聞いても、「数えるのも面倒」と言う。
食事が入らなくなっても、「見たくないものを下げて」としか言わない。
そのくせ、夜になると腕時計を外して、何度も裏側を指で撫でていた。
私はそれが気になった。
ある深夜、ナースコールが鳴った。
個室へ行くと、先生がベッド脇に腕時計を落としていた。
拾って渡そうとしたとき、裏蓋に小さな傷と、その下に貼られた古い透明テープが見えた。
先生は私の視線に気づき、初めて少しだけ困った顔をした。
「見なくていい」
そう言われたが、私はもう見てしまっていた。
透明テープの下に、ごく小さな紙片が挟まっていたのだ。
文字があるように見えた。
でも先生はすぐ腕時計を握りしめ、壁のほうを向いた。
「消灯、お願いします」
その言い方に、私は妙な既視感を覚えた。
何かを隠す人の、ぶっきらぼうな丁寧さだった。
翌朝、私は気になって仕方がなかった。
そんな自分を卑しいとも思った。
けれど数日後、その理由が分かることになる。
先生の容体が急に悪くなり、ご家族が呼ばれた夜だった。
私は夜勤で、個室の前を何度も行き来していた。
深夜二時すぎ、先生の娘さんがナースステーションへ来て、小さなICレコーダーを差し出した。
「母が、もし苦しくて話せなくなったら、これを真鍋さんに渡してって」
私は一瞬、自分の名前が分からなかった。
「私に、ですか」
娘さんはうなずいた。
「昔の教え子さんだと聞きました。渡すようにって」
レコーダーは少し古びていて、指にひんやりした。
私は休憩室に入り、ひとりで再生した。
雑音のあと、先生の声がした。
弱ってはいたが、はっきり先生の声だった。
『真鍋さんへ』
その呼びかけだけで、私はもう喉が詰まりそうになった。
『生きているうちに話すと、あなたはたぶん顔を固くするから、録音にします』
そこで、ほんの少し、笑うような息が入った。
『昔、あなたに言ったでしょう。優しいふりが上手ね、と』
私は目を閉じた。
やはり、その言葉だった。
十年、胸のどこかに刺さっていた棘の名を、先生はちゃんと覚えていた。
『あれは、半分しか言っていなかった』
録音の向こうで、少し間があった。
『あなたは人に心を寄せるのが早い。でも、自分が傷つかないところで止める癖があった』
『きれいに悲しんで、きれいに傷ついて、それで終わりにしてしまう危うさがあった』
『だから、ふり、という言い方をした』
私は息を止めて聞いていた。
反論したい気持ちはもうなかった。
その代わり、あまりに正確に言い当てられていて、逃げ場がなかった。
思い返せば、私は「つらい」と感じることで満足していたところがあった。
患者さんのために泣ける自分を、どこかで信じていた。
けれど、つらい、の先にある手の動きや判断や責任まで背負う覚悟は、まだ薄かったのだ。
『でも、あの続きがあった』
また、少し間。
レコーダーの向こうで、どこか遠くモニター音のようなものが入る。
『優しいふりから始まる人もいるの』
『ふりでも何でも、毎日続けて、本物にしてしまう人がいる』
『あなたは、そちら側だと思っていた』
そこで私は、とうとう顔を覆った。
なんという言い方をするのだろう、この人は、と泣きたくなった。
十年前に言えばよかったのに、と思った。
けれど、十年前の私ではたぶん受け取れなかったのだろうとも思った。
あのころの私は、評価されることに飢えていて、痛い言葉の奥にある期待までは受け取れなかった。
『腕時計の裏に、あなたが実習最終日に書いたメモを入れていました』
私ははっとした。
実習最終日、皆で小さなメッセージカードを先生に渡したことがある。
私は確か、他の学生みたいな気の利いた感謝が書けず、たった一行だけ書いたのだ。
「看護を続けます」と。
そんなもの、先生が覚えているはずがないと思っていた。
『私はあのとき、自分の言い方がきつすぎたことを知っていた。でも訂正しなかった』
『訂正すると、あなたはそこで満足してしまう気がしたから』
『ずいぶん勝手な教育です。怒っていい』
そこで少し、先生は咳をした。
録音が揺れた。
『でも、あのメモは私のお守りでした』
『辞めずに続ける人は少ないから』
『私は、人が続ける瞬間に立ち会うのが好きでした』
その一言で、私はまた泣きそうになった。
先生は、ただ厳しい人ではなかったのだ。
人が仕事の中で本物になっていく、その不格好な途中を、信じて見ていたのだ。
『続けてくれてありがとう』
『継いでください』
『患者さんの痛みをきれいにしないこと。家族の涙に意味を急がないこと。看護師自身の弱さを、恥として隠しすぎないこと』
『そのかわり、感傷で仕事をしないこと』
『あなたなら、もう分かるでしょう』
録音はそこで終わっていた。
私はしばらく動けなかった。
休憩室の壁の時計が三時を回っていた。
病院の夜はまだ続いているのに、私の中のどこかだけが、十年遅れで朝になりかけていた。
先生はその明け方に亡くなった。
私は最期に立ち会えなかった。
それが少し悔しかったし、少しだけ先生らしいとも思った。
肝心な場面で、こちらに泣く暇を与えない人だった。
勤務が終わってから、娘さんに腕時計を託された。
「母が、これも」と言う。
裏の透明テープは少し黄ばんでいた。
震える指で剥がすと、小さく折られた紙が出てきた。
私の字だった。
若くて、力んでいて、恥ずかしいくらい真っ直ぐな字。
――看護を続けます。
たったそれだけ。
でも先生は、それを十年も腕に巻いていたのだ。
時間を見るたび、きっとあの紙も一緒にそこにあったのだ。
私は病院の裏口を出たところで、とうとう泣いた。
朝の光は妙に白く、桜の散りかけた花びらがアスファルトに貼りついていた。
号泣、というのはもっと派手なものだと思っていた。
崩れ落ちるとか、声を上げるとか。
でも実際は違った。
息がうまく吸えなくなって、しゃくりあげるたび、胸の奥の固いところが少しずつほどけていく。
そういう静かな壊れ方だった。
十年間、誤解したまま握りしめていた棘が、涙のたびにやわらかくなっていく気がした。
それから数日後、新人看護師が家族対応で立ち尽くしていた。
どう声をかけていいか分からず、泣きそうな顔をしていた。
私は思わず昔の先生みたいな言い方をしそうになって、寸前でやめた。
代わりに、その子の名札を見て名前を呼び、言った。
「今はうまく言えなくていい。でも、患者さんから目をそらさないで」
その子は必死にうなずいた。
私はその横顔に、昔の自分を少し見た。
継承というのは、同じ言葉をそのまま渡すことではないのだろう。
受け取るのに十年かかったものを、相手にはもう少し届きやすい形にして手渡すこと。
厳しさの芯は残しながら、傷になる角だけ少し丸くすること。
先生の腕時計は、いま私の机の引き出しにある。
ときどき取り出して、裏蓋の細い傷を指でなぞる。
秒針はもう止まっている。
けれど不思議と、あの時計は終わったものには見えない。
止まったまま、こちらに時間を渡してくるものに見える。
病院の夜勤は、今夜もたぶん長い。
誰かが眠れず、誰かが痛み、誰かが明日の説明に怯える。
そのたび私は、胸ポケットのペンを確かめるように、自分の中の先生の声を確かめるのだろう。
優しいふりから始まってもいい。
続けて、本物にすればいい。
ナースステーションの時計は、また律義に針を進めていた。
私は記録を閉じ、次の巡回へ立ち上がった。
白衣の袖が少しだけ揺れた。
その揺れの中に、十年前の私と、野中先生の腕時計の光が、まだかすかに残っている気がした。
心が疲れているあなたへ
この物語は、すれ違いや後悔の中でも、
人の想いはちゃんと残り続けるということを教えてくれます。
もし今、誰かに対して誤解やわだかまりがあるなら、
少しだけ立ち止まって、相手の気持ちを考えてみてください。
あなたの中の“後悔”が、
やさしい形でほどけていきますように。
他の泣ける話はこちら亡き祖母の落とし物タグが、私の勘違いをほどいた夜
「心が疲れているときに見られるサインと対処法」 心が疲れているときに見られるサインと、やさしく整える方法


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