父とは、ずいぶん長いこと、まともに話していなかった。
絶縁、というほど派手なものではない。
もっと鈍くて、もっと情けない。
電話をしても出ない日が増え、こちらも何度もかける気をなくし、正月の挨拶は年々短くなり、会えば天気の話しかしない。
そうやって、関係は壊れるより先に、少しずつ乾いていく。
私は訪問看護師をしている。
ひとの家へ行き、血圧を測り、体温を見て、薬の残りを確認し、足のむくみや息づかいの変化を拾う。
ご本人が「大丈夫」と言っていても、台所の流しや、脱ぎっぱなしの靴下や、飲み残しの水や、机の隅の薬袋のほうが、先に本当のことを喋ることがある。
人は弱ると、自分の言葉より暮らしのほうが先に沈黙を破る。
私はそのことを、仕事ではよく知っていた。
そのくせ、父のこととなると、何ひとつ見えていなかった。
いや、見えていなかったのではない。
見えてしまったら、娘として引き受けなければならないものが増える気がして、たぶん私は、見抜けるくせに見抜かないふりをしていたのだと思う。
父は古いアパートに一人で住んでいた。
駅から十五分ほど歩いた、住宅街の奥まった場所にある、二階建ての古い建物だった。
外壁はところどころ剥がれ、鉄の外階段は雨のたびに赤茶けて、共用廊下にはいつも、どこかの家の夕飯の匂いが細く漂っていた。
夏は湿気がこもり、冬は隙間風が鳴る。
父が若いころなら、きっと嫌っただろう部屋だった。
見栄のある人だったからだ。
財布の中身が薄くても、靴だけはきちんと磨き、安いスーツでも背筋だけは変にまっすぐで、貧乏はしても、貧乏くさいのは嫌う男だった。
そんな父が、母の死後、あのアパートで一人で暮らすようになった。
母が亡くなってから、父は急に小さくなった。
いや、小さくなったのは体ではなく、こちらに向ける言葉の量だったのかもしれない。
もともと饒舌な人ではなかったが、母がいなくなってからは、さらに言葉を削った。
私が「一緒に住もうか」と言えば、「世話になるほどじゃない」と言う。
「ちゃんと病院行ってるの」と聞けば、「行ってる」とだけ返す。
問い詰めれば不機嫌になるし、引けばそれきりになる。
私は仕事で、患者さんの遠慮や強がりや、ごまかしの癖を何度も見てきた。
それでも父の強がりだけは、昔から手強かった。
なにしろ、あの人は若いころから、具合が悪くても「寝れば治る」と言い張る人だった。
熱があっても、頭痛がしても、歯を食いしばって仕事へ行った。
その頑丈さを、私は子どもの頃、頼もしさだと思っていた。
けれど、年を取った強がりは、立派さではなく、危うさになる。
それに気づいたのは、ずいぶん遅かった。
最後に大きくぶつかったのは、去年の冬だった。
父が風邪をこじらせたと近所の人から聞いて、私は休みの日にアパートへ向かった。
部屋に入ると、空気が重かった。
暖房はついていたが、部屋の隅がひんやりしていて、流しには洗っていない茶碗が二つ、テーブルの上にはコンビニの弁当容器と、いくつもの薬袋が積まれていた。
私はその薬袋を見た瞬間に、職業の顔になってしまった。
「こんなに薬あるのに、ちゃんと飲んでるの?」
父はこたつに足を入れたまま、テレビのワイドショーから目も離さずに言った。
「飲んでる」
「嘘でしょ。日付もバラバラだし、同じ薬局の袋がこんなに溜まってるじゃない」
「うるさいな」
それから少し間を置いて、父は吐き捨てるように言った。
「お前は看護師の顔をしに来たのか」
その一言が、ひどく刺さった。
私は娘として心配していたつもりだった。
なのに、父は私の気持ちを職業の延長みたいに扱った。
そう感じた瞬間、胸のどこかで、ずっと堪えていたものが乱暴に立ち上がった。
「じゃあ何。娘の顔で来たら、ちゃんと本当のこと話してくれるわけ?」
言ったあとで、しまったと思った。
けれど人は、いちばん言ってはいけない言葉ほど、妙によく舌に馴染んでしまう。
父はリモコンでテレビの音を少し上げてから、短く言った。
「帰れ」
私は帰った。
アパートの外階段を下りながら、手すりを握る手が震えていた。
怒っていたのではない。
ほんとうは、悲しかったのだ。
娘として来たつもりなのに、父には踏み込まれたくない他人のように扱われた気がして、惨めだった。
怒りというのは、よく悲しみの上に厚く塗られた塗料みたいなものだ。
乾くまでは、自分でも下の色がわからない。
それから春まで、ろくに会わなかった。
電話は月に一、二度。
父はいつも「大丈夫」「平気」「飯は食ってる」とだけ言った。
その三つの言葉は便利で、たいていの会話を終わらせるのに足りた。
私も忙しかった。
言い訳みたいだが、ほんとうに忙しかった。
春先は利用者さんの入退院が重なり、新規の訪問も増え、記録も書類も山のようにあった。
雨の日も風の日も、自転車や車で町を回り、玄関先で手指消毒をし、靴を脱いで上がり、また別の家へ行く。
帰るころには肩が重く、夜は食事もそこそこに眠ってしまうことが増えた。
父に会いに行かなかったのは、時間がなかったからでもある。
けれど、ほんとうは、また同じことになるのが嫌だったのだと思う。
忙しさは、ときどき臆病の立派な隠れ場所になる。
六月の終わり、私は訪問の途中で、父のアパートの大家さんから電話を受けた。
「お父さん、階段のところで座り込んでてね。救急車は呼ばなくていいって言うんだけど、ちょっと顔色が変なのよ」
胸のあたりが、急に冷えた。
私はその日の訪問順を同僚に頭を下げて調整してもらい、夕方、父のアパートへ急いだ。
部屋の戸を開けたとたん、薬と湿気と古い畳の匂いがした。
その匂いを、私は仕事で何度も嗅いできた。
長く体調不良を抱えた人の家に、いつのまにか染みつく匂いだった。
父は座布団にもたれて座っていた。
顔色は土みたいに悪く、目の下は落ちくぼみ、唇は乾いていた。
それでも私を見ると、いつもの調子で言った。
「大げさだな。ちょっと立ちくらみしただけだ」
「ちょっとの顔色じゃないよ」
「お前、相変わらず言い方がきついな」
私は、そこで言い返しかけて、やめた。
その一言に乗れば、また同じ場所へ戻るのがわかったからだ。
見える失敗に、わざわざ足を踏み入れるほど、もう若くもなかった。
代わりに部屋を見た。
流しに洗っていない茶碗が二つ。
床の隅に丸まった靴下。
テーブルには薬袋が何枚も重なり、開封済みのものと未開封のものが混ざっていた。
冷蔵庫を開けると、豆腐、梅干し、期限の切れた牛乳、半分だけ残ったポカリスエット。
私はしゃがんで、父の視線に高さを合わせた。
「病院、行こう」
父は珍しく、すぐには言い返さなかった。
ただ、少し目を逸らしてから、低く言った。
「明日でいい」
「今日」
「明日でいい」
「今日」
私がそう言うと、父は急に声を荒げた。
「病人扱いするな」
「病人でしょうが!」
言った瞬間、沈黙が落ちた。
その沈黙の中で、父の肩が小さく上下した。
怒りで震えているのだと思った。
けれど違った。
呼吸が浅かったのだ。
無理に平静を装っている人の、嘘が混じった呼吸だった。
私はそこで、やっと怖くなった。
仕事で何度も見てきた呼吸だったのに、それが父の胸で起きていることだけが、どうにも受け止めきれなかった。
私は父の背をさすりながら、救急外来へ連れて行った。
車の中で、父はほとんど喋らなかった。
信号待ちのたび、窓の外ばかり見ていた。
私はハンドルを握りながら、どうしてもっと早く来なかったのだろうと何度も思った。
けれど、その問いは遅かった。
遅い問いほど、人を静かに責めるものはない。
検査の結果、心不全の悪化と、以前から進んでいた腎機能低下が見つかった。
医師の説明は穏やかだった。
穏やかな説明ほど、内容は重いことが多い。
「前から症状はあったはずです。受診の中断や、お薬の飲み忘れがなかったか、確認したいですね」
私は「はい」と答えた。
その「はい」が、誰に向けた返事だったのか、自分でもよくわからなかった。
医師に対してか。
父に対してか。
それとも、見ないふりをしてきた時間に対してか。
入院の手続きをしているあいだ、私は父の持ち物を整理した。
財布、眼鏡ケース、古い携帯、診察券、ハンカチ、それから、薬袋の下にくしゃくしゃになっていた問診票の控え。
たぶん、以前どこかの医院で書いたものなのだろう。
私は何気なくそれを拾った。
裏に字があった。
父の字だった。
妙に丁寧で、少しかしこまった、昔の履歴書みたいな字。
『咳は夜に出る。階段がつらい。むくみもある』
そこまで読んで、私は眉を寄せた。
問診票の表に書けばいいことを、なぜ裏に書くのだろうと思った。
さらに下に、続きがあった。
『娘には言わないこと』
私は、そこで息を止めた。
『看護師をしているから、言えばすぐ見抜かれる』
『忙しいのに、これ以上心配をかけたくない』
『母さんがいなくなってから、あの子は休みの日まで人の家へ行っている』
『電話の声がいつも疲れている』
『だから、これは自分で何とかする』
字は、途中から少し乱れていた。
『あの子は昔から、私に似て意地っ張りだ』
『本当は会いに来てほしいが、来たら来たで、弱っているところを見せたくない』
『情けない父親と思われたくない』
『でも、たぶんもう少し苦しい』
私はその場で座り込んだ。
病院の廊下は明るすぎた。
明るい場所で読む本音ほど、逃げ場がない。
私はそこで、やっとわかった。
父は私を拒んでいたのではなかった。
拒んでいるように見せながら、実際には、ぎりぎりのところで私を庇っていたのだ。
庇い方が下手で、不器用で、腹立たしいほど遠回りだっただけで。
そして私は、父のその不器用さを責めながら、自分も同じくらい不器用に、忙しさの裏へ隠れていた。
訪問看護師という仕事は、ときどき人を傲慢にする。
知っているつもりになるのだ。
症状も、予後も、家族の気持ちも。
見立てることに慣れてしまうから、見誤る痛みに鈍くなる。
私は父の病気を見抜けなかったのではない。
見抜けば、娘として泣かなければならなくなるのが怖くて、職業の側へ逃げていたのだ。
病室へ戻ると、父は目を閉じていた。
眠っているのかと思ったが、私が椅子を引く音に気づいて、薄く目を開けた。
「……怒ってるか」
父が言った。
私は、すぐには答えられなかった。
怒っていた。
たしかに怒っていた。
けれど、それは父に対してだけではなかった。
こんな紙切れの裏に本音を書かせるまで、私たち親子が、あまりに下手くそだったことに対して怒っていた。
「怒ってる」
私は正直に言った。
父は少しだけ口元を動かした。
笑ったつもりだったのかもしれない。
「だろうな」
「でも、それより……」
言葉が詰まった。
涙というのは卑怯だ。
言うべきことの順番を、すぐ壊してしまう。
「それより、怖かった」
父は黙っていた。
「私は仕事で、いろんな人に『ちゃんと頼ってください』って言ってるのに、いちばん言いたかった相手には、何も届いてなかった」
父の手は、布団の上で骨ばって見えた。
私はその手の近くに、自分の指を置いた。
触れるには、まだ少し勇気がいった。
「どうして言わなかったの」
父はしばらく天井を見つめていた。
それから、かすれた声で言った。
「お前が、疲れてたからだ」
「そんなの……」
「お前、母さんが死んだあとも、泣かなかっただろ」
私は息を呑んだ。
胸の奥の、触られたくない場所を、静かに押された気がした。
「忙しかったから、って思ってた」
父はそこで一度咳き込み、少し息を整えてから続けた。
「忙しいふりでもしなきゃ、持たなかったんだろ」
私は返せなかった。
そうだったからだ。
母を失った悲しみを、私は仕事の予定表の隙間へ押し込めた。
人の命に付き添う仕事をしていれば、自分の傷は後回しでも許される気がしていた。
父はそれを見ていたのだ。
何も言わずに、ずっと見ていたのだ。
「だから、これ以上、お前に背負わせたくなかった」
私はとうとう父の手を握った。
ひどく乾いていて、温度だけが頼りなかった。
「背負わせてよ」
自分でも驚くほど、子どもみたいな声が出た。
「私は娘なんだから」
父は目を閉じたまま、小さく息を吐いた。
「そうか」
たったそれだけだった。
けれど、その二文字は不思議なくらい長く胸に残った。
長年、私たちの間に置かれていた家具みたいな沈黙が、ほんの少しだけ動いた気がした。
入院してから、父は少しずつ本当のことを話すようになった。
夜になると息苦しさが強くなること。
靴下の跡が足首から消えなくなっていたこと。
トイレまで歩くと動悸がすること。
薬を飲むと胃がむかつく日があって、勝手にやめたこと。
途中で病院へ行くのが億劫になったこと。
どれも、もっと早く言ってくれていればと思う内容ばかりだった。
けれど人は、正しい時機にだけ正しいことを言えるわけではない。
言えなかった時間ごと、抱きしめるしかない場合もある。
私は見舞いのたび、薬袋を一つずつ整理した。
朝、昼、夕、寝る前で分け、飲み方を書いたメモを作り、退院後の受診日も大きな字で書いた。
父はそれを見て、「お前は昔から字がでかい」と言った。
私は「見えなきゃ意味ないでしょ」と返した。
父は「それもそうか」と言った。
その、どうでもいい会話ができることが、あんなにもありがたいとは知らなかった。
ある日、病室の窓から夕立のあとを見ていた父が、ぽつりと言った。
「お前、小さい頃、熱出しても我慢してたな」
私は笑った。
「我慢してたんじゃなくて、言うと病院連れてかれるの嫌だっただけ」
「そうか」
「父さんに似たんでしょ」
父は少しだけ笑って、それから「悪いことばかり似たな」と言った。
その言葉に、私は泣きそうになった。
そんなふうに冗談めかして自分を悪者にできるうちは、まだ間に合うのかもしれないと思ったからだ。
退院の朝、父は窓の外を見ながら言った。
「また迷惑かけるかもしれん」
私は荷物をまとめながら、「かけて」と言った。
「その代わり、隠すのは禁止」
「努力する」
「禁止」
父は少し笑った。
弱った人の笑顔は、ときどき祈りに似ていると思う。
もう強がりだけでは生きられないことを、本人もわかっていて、それでもなお、誰かと明日を分け合おうとする顔だからだ。
古いアパートの階段は、相変わらず赤く錆びていた。
廊下には、どこかの家の味噌汁の匂いがした。
父は一段ずつ、以前よりずっとゆっくり上がった。
私はその後ろで、転ばないよう見守りながら、心の中で、誰にも聞こえない言葉を繰り返していた。
どうかこの人が、もう少し長く、自分の足でこの階段を上がれますように。
どうか私が、今度こそ忙しさを言い訳にしませんように。
どうか、言えなかったことを、次はちゃんと間に合わせられますように。
父は踊り場で一度だけ振り返って、「何ぶつぶつ言ってる」と聞いた。
私は笑って、「祈ってるの」と言った。
父は呆れたような顔をしたあと、少しだけやさしく、「柄じゃないな」と言った。
ほんとうに、その通りだった。
私は祈るより、指示を出すほうが得意だ。
願うより、動くほうが性に合っている。
けれど、どうにもならないほど大事なものの前で、人は最後に祈るしかなくなる。
部屋へ入ると、テーブルの上に、あの問診票が置かれていた。
私が鞄へしまったはずなのに、父がいつのまにか出したらしい。
私は捨てようとした。
けれど父が「それは置いとけ」と言った。
「恥だろ、こんなの」
「だから置いとくんだ」
父は窓際に座って、痩せた肩を少しすくめた。
「忘れると、また隠す」
私は何も言えなかった。
問診票の裏に書かれた言葉は、きれいな手紙でも、立派な遺言でもない。
ただの、みっともない本音だった。
けれど、私たち親子には、それで十分だったのだと思う。
立派な言葉では、間に合わなかったからだ。
飾らない、情けない、うまくない言葉だったからこそ、ようやく届いた。
夕方、私は新しい薬袋に日付を書き、飲む時間ごとに小さく印をつけた。
父はそれを見て、ふいに言った。
「お前、母さんに似てきたな」
私は顔を上げた。
「そういうこと、急に言わないで」
「嫌か」
「嫌じゃない」
嫌じゃないどころか、泣きそうだった。
母のことを口にすると、今でも胸の奥に、冷たい場所と温かい場所が同時にできる。
たぶん、亡くした人は消えないのではない。
言葉の中で、何度も生き直すのだ。
窓の外では、古い住宅街の屋根の上に、薄い夕焼けが残っていた。
明日には消える色だった。
けれど、消えるからこそ、見ておきたい色でもあった。
私は薬袋をそろえながら思った。
祈りというのは、奇跡を望むことではないのかもしれない。
ただ、失いたくない相手に、明日もここにいてほしいと、黙って願い続けることなのだ。
問診票の裏みたいな、頼りない紙切れ一枚にも、人は本音を書く。
そして、その小さな紙に救われながら、またひとつ、誰かの明日へ付き添っていく。
その夜、帰り際に私は父へ言った。
「また来るね」
父は薬を飲んだあと、水の入ったコップを置いて、「ああ」とだけ答えた。
昔なら、その短さに腹を立てたかもしれない。
でも今はわかる。
言葉の少ない人間にも、ちゃんと祈っている沈黙がある。
私は玄関のドアを閉める前に、もう一度だけ父を見た。
父は私のほうを見てはいなかった。
ただ、テーブルの上の薬袋と問診票に、静かに手を置いていた。
それが、あの人なりの「ありがとう」なのだと、今度はちゃんとわかった。


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