恩師のことを、私は長いあいだ、少し苦手だった。
尊敬していなかったわけではない。
むしろ、その逆である。
尊敬していたからこそ、うまく近づけなかった。
学生のころ、私は文学部で、近代日本文学のゼミにいた。
先生は小田島先生といって、痩せた身体にいつも少し古いジャケットを着て、講義のときだけ妙に声の通る人だった。
太宰も芥川も漱石も、ただの作品としてではなく、人間の失敗や見栄や臆病さの記録みたいに話す人で、私はその語り方が好きだった。
好きだったが、同時に怖かった。
先生は、学生の甘えた感想を、やさしく見逃してはくれない人だったからだ。
「きれいに読まないでください」
と、よく言った。
「人はもっと、見苦しくて、矛盾しています」
その言い方が私は苦手だった。
図星を突かれている気がしたからだ。
私は当時、自分のことを、少しばかり本を読む側の人間だと思っていた。
けれど先生の前では、その薄っぺらさがすぐ剥がれた。
ゼミの終わりに、私はよく発言した。
発言することで、理解している側に立ちたかったのだと思う。
先生は私の発言を最後まで聞き、たいてい一度だけうなずいてから、静かに言った。
「それは半分当たっています」
半分。
その言葉が、若かった私には妙に腹立たしかった。
全部ほしい人間にとって、半分という評価は、否定より厄介である。
卒業の直前、私は小さな評論を書いた。
太宰のある短編について、自分なりにかなり丁寧に読んだつもりだった。
書き上げたときは、少し勝ったような気分だった。
これなら褒められるかもしれない、とどこかで期待していたのだろう。
出したあとで、先生は研究室に私を呼び、原稿を机の上に置いた。
窓の外には、卒業式の準備らしい白い看板が見えていた。
春で、空気だけが妙に明るかった。
「言葉が、整いすぎています」
そう言われた。
私は、その一言をずっと忘れられない。
「整っているのは悪いことですか」
少し棘のある声で、私は聞き返した。
先生は眼鏡を外して、しばらく私を見た。
「悪いとは言っていません」
「じゃあ、何ですか」
「あなたは、賢く見える文章を書く。でも、痛いところを避ける癖がある」
私はそこで、急に恥ずかしくなった。
恥ずかしいとき、人はたいてい怒る。
私もそうだった。
「結局、先生の好きな書き方じゃないってことですよね」
先生は何か言いかけた。
けれど私はそれを待たずに頭を下げ、研究室を出た。
廊下の窓がやけに明るかったのを覚えている。
春で、卒業式の前で、世界は妙にきれいだった。
きれいすぎる景色の中で、自分だけが子どもじみている気がして、余計に腹が立った。
そのあと、私は先生にろくに挨拶もしなかった。
謝恩会にも行かず、卒業式の日も、人混みの向こうに先生の姿を見つけただけで、近づかなかった。
いま思えば、あれは反抗ではなく、敗走だったのだと思う。
大学を出てから、私は街の書店で働くようになった。
大きな書店ではない。
駅から少し離れた商店街の外れにある、二階建ての店だ。
一階に新刊と雑誌、二階に文庫と文芸書、児童書、学参。
朝はシャッターを開け、平台を直し、入荷した本を検品し、返品をまとめる。
本に囲まれた仕事だから、さぞ満ち足りているように思われることもあるが、実際は意外と肉体労働で、重い段ボールを運び、脚立を上り、在庫を数え、客に本の場所を聞かれる。
紙の匂いの中で、私はだんだん、自分が本を読む人間というより、本を並べる人間になっていく気がしていた。
それはべつに不幸ではなかった。
ただ、学生のころ想像していた自分とは少し違った、というだけだ。
自分はもっと書く側へ行くのだと、どこかで思っていた。
けれど気づけば、売れ筋の棚を整え、帯文の文句に首をひねり、閉店後は疲れて文庫すら開けない日も増えていた。
数年後、母校の近くの市立図書館から、選書フェアの相談が書店に来た。
地元ゆかりの作家や研究者にちなんだ小さな特集を組みたいという。
担当になった私は、打ち合わせのため、久しぶりにあの図書館へ行った。
静かな午後だった。
図書館の空気は、書店とは少し違う。
売るための本ではなく、待たれる本の匂いがする。
誰かに借りられて、返されて、また棚へ戻るあの時間の薄い層が、館内の静けさを少しだけやわらかくしている気がした。
郷土資料の一角を見ていたとき、司書の方が言った。
「そういえば、去年、小田島先生が亡くなられて」
私は、その場で言葉を失った。
亡くなった。
ただそれだけの事実なのに、脳がすぐに受け取らなかった。
「先生、晩年はよくこちらへいらしてたんです。手帳を片手に、調べものをされていて」
司書の方は気づかずに続けた。
「寄贈された資料の中にも、手帳が何冊かありますよ。もし特集に使えそうなら、見ますか」
私は、見ます、と言った。
声が自分のものではないみたいだった。
手帳は、閉架から出されてきた。
黒い革の、古びた手帳だった。
端は擦れ、角は丸くなり、長くポケットに入れられていたらしい癖が背に残っていた。
開くと、小さく整った字が並んでいる。
読書メモ、引用、図書館の請求記号、授業の構想らしい断片。
先生はあいかわらず、几帳面な字を書くのだと、妙なところで感心した。
そして、何ページか先に、青いインクの滲みを見つけた。
先生はいつも、黒の本文に、あとから青いペンで補い書きをする癖があった。
講義中も、思いついたことがあると、胸ポケットから細いペンを取り出して、余白へ短く書き足していた。
その仕草を、私はなぜかよく覚えていた。
ページをめくると、何年も前の日付のところに、私の名前があった。
心臓が、どくりとした。
卒業の年の春だった。
あの日のことに違いなかった。
私は、手帳を持つ指に少し力が入るのを感じた。
そこには、私の評論についての短いメモがあった。
『彼女の文章は整っている』
それを読んだ瞬間、胸の中で古い怒りが少しだけ動いた。
やはり先生は、あのときそう見ていたのだ。
整っている、と。
つまり、薄い、と。
逃げている、と。
私はそう受け取っていたし、その受け取り方のまま、何年も先生を少し恨んでいた。
けれど、そのすぐ下に、続きがあった。
『整っているのは、弱さを隠すための防壁かもしれない』
私はページを持つ手を止めた。
さらに、その下。
『真正面から壊れる力がある人だと思う。言い方を間違えないようにしたい』
そこで、私は息を吸いそこねた。
言い方を間違えないようにしたい。
あの人は、そう書いていたのだ。
私は、次の行を読んだ。
『だが今日、私は少し急いでしまった』
『若い人に届く言葉は、正しさより順番なのに』
私は、しばらくそこから動けなかった。
記憶というのは勝手なものだ。
自分が傷ついた場面だけを、都合よく切り取って保存する。
あの日の私は、先生に否定されたと思った。
見抜かれた恥ずかしさを怒りに変えて、先生の言葉だけを悪く受け取った。
けれど先生は、私を切り捨てたのではなかった。
むしろ、どう言えば届くかを迷っていたのだ。
そして、迷った結果、言い方を間違えたと、自分で書き残していたのだ。
手帳の余白には、さらに小さな文字があった。
『本当は、彼女の文にある“守り”が、いつか別の強さになる気がする』
『怒らせたなら、それでもよい』
『ただ、書くことをやめなければ』
その一文で、私はもうだめだった。
涙は、いつも劇的に来るわけではない。
むしろ、ほんとうに遅れて届くものほど、静かに来る。
私は図書館の閲覧席で、声を出さないようにしながら、しばらく俯いていた。
司書の方がそっとティッシュを置いてくれた。
私はそれにも礼を言えなかった。
手帳を閉じても、先生の字は目の奥に残った。
受け取りそこねたものが、何年もあとで胸へ戻ってくる時、人はたぶん、過去に泣いているのではない。
その過去を、いまになってようやく正しく読める自分に泣いているのだと思う。
司書の方は、ほかにも手帳がありますよ、と言った。
私は一冊だけ、もう少し見せてもらった。
そこには授業案の断片や、読書会の準備メモに混じって、こんな一行があった。
『批評とは、正しく切ることではなく、相手がまだ言えない傷の形を信じること』
先生は、講義でも似たことを言っていた気がする。
当時の私は、そんな言葉を、少し気取った比喩くらいにしか受け取れなかった。
けれどいま読むと、それは先生自身の不器用な教育の言い換えだったのかもしれない。
帰り道、商店街の夕方はいつも通りだった。
八百屋の前に段ボールが積まれ、惣菜屋の油の匂いがして、子どもが走り、信号が変わる。
世界は、誰か一人の取り返しのつかなさとは無関係に、平気で続いていく。
その続き方が、その日は妙に残酷で、同時にありがたかった。
書店へ戻ると、私は閉店後の事務机で、久しぶりにノートを開いた。
何かを書こうと思ったのは、いつ以来だろう。
学生のころは、書くことが自分の行き先だと思っていたのに、いつのまにか、それを遠くへ置いていた。
本を並べる仕事に不満があったわけではない。
ただ、自分が言葉の側から少し退いていたのだ。
ペンを持つと、ふしぎと先生の指先を思い出した。
講義のとき、引用箇所をなぞるみたいに、万年筆で紙を軽く叩く癖があった。
原稿に赤ではなく青で線を引く人だった。
きっと赤は、正しすぎる色だったのだろう。
青は、訂正というより、考え直しの色に見えた。
その癖まで、私はちゃんと覚えていたらしい。
書こうとして、なかなか書けなかった。
書けないのではなく、整えようとしてしまうのだ。
うまく見える文、傷の見えにくい文、賢そうな文。
私は今でも、その癖を持っているらしかった。
けれど、その晩は少しだけ違った。
先生の手帳の余白が、頭のどこかで開いたままだったからだ。
言い方を間違えないようにしたい。
若い人に届く言葉は、正しさより順番。
その二行が、ずっと胸に残っていた。
私は初めて、自分の怒りが、先生に向いていたのではなかったことを知った。
先生に見抜かれた自分の弱さに、私は腹を立てていたのだ。
そして、その腹立ちを、そのまま先生のせいにした。
なんとも立派でない話だが、人間というのは、たいていそういうふうに他人を誤解する。
私はノートの上に、うまくまとまらない文章を書いた。
学生のころの自分のこと。
先生の研究室から逃げるみたいに出た日のこと。
書店員になってから、本を売ることで言葉から逃げていたこと。
どれもきれいではなかった。
けれど、きれいでないまま書くほうが、あの日の先生には少し近づける気がした。
数日後、図書館の特集は無事に始まった。
地元ゆかりの文学者や研究者の本に混じって、小田島先生の著作や講演録も並んだ。
私はそのコーナーの端に、先生がよく使っていたという青いインクの万年筆に似た色の帯をつけてもらった。
べつに誰も気づかないような、小さなことだった。
けれど私には、それが弔いというより、受け取り直しの印に思えた。
先生の言葉を、いまの年齢で、もう一度受け取り直す。
若かった私が拒んだものを、いまの私が拾い直す。
そういうことが、人には必要なのかもしれない。
私はいまでも書店員で、毎日、本を並べている。
けれど閉店後、ときどき店の片隅で書くようになった。
たいしたものではない。
読書会の案内文だったり、文芸棚の手書きポップだったり、誰に見せるでもない短い文章だったりする。
前より少しだけ、整えすぎないようにしている。
傷を隠しすぎないようにしている。
もちろん、簡単ではない。
それでも、昔みたいに、書くことから逃げるばかりではなくなった。
先日、若いアルバイトの子が、自分で書いた本の紹介文を見せてきた。
きれいにまとまっていて、でもどこか自分を守っているような文章だった。
私は一瞬、あの日の研究室を思い出した。
それから、少し時間を置いて言った。
「うまいと思う。でも、たぶん、あなたがいちばん引っかかったところは、まだここに書いてない」
その子は、すぐには返事をしなかった。
私は慌てて言葉を足しかけ、やめた。
順番を間違えたくなかったからだ。
「急がなくていいから。どこが痛かったか、あとで自分でわかれば、それで十分だと思う」
その子は小さくうなずいた。
私はそのうなずきを見て、胸の奥で、ずいぶん古い灯が少しだけ明るくなるのを感じた。
人は、受け取れなかった言葉を、何年も経ってから受け取り直すことがある。
そのとき、過去は変わらない。
先生はもういないし、あの春の研究室へ戻ることもできない。
けれど、受け取り方が変われば、失われたはずの言葉の意味だけは、静かに生き返る。
図書館の帰りに借りた本の栞代わりに、私は小さな紙を挟んでいる。
メモでもなく、引用でもなく、ただひとこと。
『言葉は、順番で届く』
青いインクで書いたその字を見るたび、私は思う。
余白に書かれたものほど、人を長く支えるのかもしれない。
本文には間に合わなかった言葉。
声に出すには遅れた言葉。
けれど、遅れたからこそ、ようやくこちらが受け取れる言葉。
あの日、先生が手帳の余白に残したものは、いま私の仕事の灯になっている。
私は本日も閉店のベルを聞き、平台の本を整え、最後に一本のペンをポケットへ差す。
書くため、というより、忘れないために。
受け取りそこねたものを、今度こそ、雑に扱わないために。
そしてときどき、レジの合間にふっと思う。
先生、私はまだ、うまくは書けません。
でも、あのときよりは少しだけ、自分の傷のまわりを、逃げずに触れるようになりました。
それだけでも、たぶん、あなたの余白に間に合ったのだと信じたいのです。


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