保育士の私が、亡き祖母の不器用な見守りに救われた話

夢のような庭の風景 泣ける話

保育園の朝は、靴箱の前から始まる。

小さな靴が、きちんと揃っている日もあれば、急いで脱ぎ散らかされている日もある。

子どもの気分というのは、たいてい靴先に出る。

私はその靴を揃えながら、今日も一日が始まるのだなと思う。

三十四になっても、保育士という仕事にはまだ慣れきれない。

慣れた顔はしている。

笑うところで笑い、泣く子にはしゃがみ、親には大丈夫ですよと言う。

けれど本当のところ、子どもの前に立つたび、私は自分の中にまだ片づいていない子どもを少し持て余している。

置いていかれそうで不安だった子ども。

泣くほどのことではない、と自分に言い聞かせていた子ども。

そういう、少し面倒な幼さが、まだ胸の底に残っている。

私を育てたのは祖母だった。

母は夜勤の多い仕事をしていて、父は早くに家を出た。

だから私の毎日は、だいたい祖母の台所の匂いと一緒にあった。

味噌汁の湯気。

干した大根の匂い。

冬の朝、火にかけた薬缶の細い音。

そういうもので、私は育てられた。

祖母は無口な人だった。

優しい言葉をあまり使わなかった。

熱を出せば、「薬、飲みな」。

転べば、「水で洗いな」。

泣けば、「泣いたって、なくなったものは戻らないよ」。

そういう言い方しかできない人だった。

私はそれを、長いこと冷たさだと思っていた。

抱きしめてもくれない。

大丈夫とも言ってくれない。

ただ見ているだけだ。

見ているだけの愛情なんて、子どもにはひどく分かりにくい。

だから私は、自分が祖母にとって、手のかからないように扱われているだけなのだと思って育った。

人は、幼いころの寂しさを、案外ていねいに保存する。

折に触れて取り出し、ああやっぱり私はあのとき寂しかったのだと、何度でも自分に言い聞かせる。

私もそうだった。

保育士になったのも、その反動かもしれない。

泣く子がいれば、私はつい言いすぎる。

大丈夫だよ。

ここにいるよ。

あとでお迎え来るよ。

痛かったね。

さみしいね。

欲しかった言葉を、他人の子どもに配っているだけではないかと、自分で自分が恥ずかしくなることがある。

その春、私のクラスに蒼太くんが入った。

四歳。

細い首、黒い目、妙にきちんとした返事。

初日からまったく泣かなかった。

泣かない子は、楽なようでいて、少し怖い。

泣ける子はまだ甘え方を知っている。

泣かない子は、もう小さな諦めを覚えていることがある。

蒼太くんは朝、母親が帰るときも追いかけなかった。

ただ一度だけ窓のほうを見て、それで終わりだった。

行かないで、とも言わない。

泣きもしない。

あまりに静かで、こちらが勝手に胸を痛くするくらいだった。

連絡帳には毎日、母親の几帳面な字が並んでいた。

「よく眠れました」

「朝食は半分」

「咳少しあり」

必要なことだけ。

そこに余白はなかった。

私は勝手に、この母親は忙しいのだろうと思った。

余裕がないのだろうと思った。

そして、たぶん昔の自分をそこへ重ねていた。

忙しい大人。

必要なことだけを書く字。

感情のないように見える連絡。

そういうものに、私はすぐ昔の寂しさを呼び出してしまう。

蒼太くんは日中もあまり手がかからなかった。

転んでも、すぐには泣かない。

おもちゃを取られても、怒るより先に引く。

給食も残さず食べる。

先生、と呼ぶ声まで、どこか遠慮がちだった。

誰かの邪魔をしないように、小さな体で気を遣っているように見えた。

私はそういう子を見ると、必要以上に気にかかる。

気にかかる、というより、助けたいのだ。

いや、助けたいというのは少し傲慢かもしれない。

ほんとうは、自分の見落としてきた何かを、その子に代わって拾いたいだけなのだろう。

ある日、昼寝のあと、蒼太くんが少し熱を出した。

頬が赤く、咳も出ていた。

私はすぐ母親に電話をしたが、つながらなかった。

連絡帳にも、いつもより細かく書いた。

「午後37.6度。少しだるそうでした。お迎え後も様子を見てください。無理のない範囲で受診もご検討ください」

書きながら、私は少し力が入っていたと思う。

伝えなければ、と思った。

見逃してはいけないと思った。

誰かがちゃんと言わなければと思った。

そしてたぶん、その「ちゃんと」の中には、私自身の昔の寂しさが混じっていた。

あのとき誰かがもっと気づいてくれていたら、という、勝手な願いが。

翌日、蒼太くんは元気に来た。

熱も下がったらしかった。

私はほっとした。

けれど夕方、主任に呼ばれた。

母親から連絡があったという。

連絡帳の書き方が責められているようで苦しかった、と。

仕事を休めない事情もあるのに、ちゃんと見ていない親だと言われた気がした、と。

私は何も言えなかった。

そんなつもりではなかった、という言い訳ほど、独りよがりなものはない。

善意は、ときどき相手を追いつめる。

気遣いのつもりが、裏目に出る。

それは私がいちばん嫌っていた大人のやり方ではなかったか。

子どものためを思って、と言いながら、大人の不安だけを押しつけること。

私はそれをしてしまったのだ。

その夜、家に帰っても、どうにも気持ちが静まらなかった。

電気をつけても、湯を沸かしても、部屋の隅にうっすら残る夕方の失敗が消えない。

私はふと思い立って、実家の押し入れを片づけはじめた。

そんなことに意味はない。

ただ、手を動かしていないと、自分の中の嫌な声に追いつかれそうだった。

押し入れの奥で、古い箱を見つけた。

祖母の字で「帳面」とだけ書いてある。

開けると、私が昔使っていた保育園の連絡帳が何冊も入っていた。

黄ばんだ表紙。

角の丸くなった紙。

指でなぞると、時間の柔らかさみたいなものが残っていた。

そんなものを祖母が取ってあったことに、まず驚いた。

私は座布団の上に座り込み、一冊を開いた。

先生の字で、こうあった。

「今日は少し寂しそうに窓を見ていました」

その下に祖母の返事。

「家では元気です。見てくださってありがとうございます」

別の日。

「転んでも泣かず、我慢しているように見えます」

祖母の返事。

「私が口下手で、あの子に我慢をさせているのかもしれません。どう声をかけたらいいか、いつも迷っています。見守るだけでは足りないのではと心配です」

私は、その場で息を止めた。

祖母が、迷っていた。

あの、何でも分かったような顔でお茶をすすっていた祖母が、ほんとうはずっと迷っていた。

冷たかったのではない。

放っていたのでもない。

下手に声をかけて、かえって私を弱らせないか。

近づきすぎて、私の頑張りを壊さないか。

そうやって迷いながら、見ていたのだ。

見ているだけだと思っていた沈黙の中に、逡巡があった。

私はそれを、何もしてくれなかった、の一言で乱暴に片づけていた。

さらにページをめくると、別の日の記録があった。

「お迎えのとき、おばあさまを見ると安心した顔をしています」

祖母の返事は短かった。

「そうなら、よかったです」

たったそれだけなのに、その文字がやけに温かく見えた。

また別のページには、こんな記述もあった。

「今日、泣きそうなのを我慢していました。おばあさまが帰りに頭を撫でると、少し笑いました」

祖母の返事。

「家ではあまり触らないようにしています。園でそれで安心するなら、覚えておきます」

私はそこで、もうだめだった。

祖母は、何も考えずに黙っていたのではなかった。

触れること。

声をかけること。

かけすぎないこと。

離れて見ること。

その一つ一つを、自分なりに考えて、迷って、選んでいたのだ。

その迷いを、私は「不器用だから」で済ませていた。

いや、不器用だったのは私のほうかもしれない。

受け取る努力もしないで、欲しい形ではなかった愛情を、全部不在として数えていたのだから。

私は連絡帳を膝に置いたまま泣いた。

三十四にもなって、昔の連絡帳でこんなに泣くなんて、ずいぶんみっともない。

でも人は、自分が受け取れなかったと思い込んでいたものを、遅れて受け取るとき、どうしても少し崩れる。

そういえば、熱を出した夜、祖母は何度も襖を細く開けてこちらを見ていた。

私はそのたび寝たふりをして、どうして入ってきてくれないのだろうと思っていた。

けれど翌朝には、枕元の水差しが替えられ、濡れた手ぬぐいも新しくなっていた。

あの人は、ちゃんと来ていたのだ。

ただ、大げさに「心配している」と見せなかっただけで。

私はずっと、見える優しさばかり欲しがっていた。

翌日、私は蒼太くんの連絡帳を前に、しばらくペンを持てなかった。

それから、こう書いた。

「今日は少し咳がありましたが、積み木で楽しそうに遊べていました。園でも様子を見ています。お忙しい中でご心配も多いと思いますので、無理のない範囲で大丈夫です。蒼太くん、朝は静かですが、そのあと自分のペースでよく遊べています」

前のような「正しさ」だけではない文にした。

相手を急かさないこと。

不安を増やさないこと。

でも、ちゃんと見ていることは伝えること。

書きながら、それが案外むずかしいのだと知った。

見守る、というのは、黙ることではない。

声をかけることと、かけすぎないことのあいだで、毎回少しずつ迷うことなのだ。

夕方、蒼太くんの母親は少し疲れた顔で迎えに来た。

私は先日のことを謝った。

母親も小さく頭を下げた。

「私も余裕がなくて……すみませんでした」

その声は責める声ではなく、疲れた人の本音だった。

少ししてから、その人はぽつりと言った。

「家では、あまり甘えないんです」

私は黙って頷いた。

「だから、先生に細かく言われると、見抜かれてる気がして、怖くなってしまって」

私はそこで、ようやく本当に分かった気がした。

私は蒼太くんを心配したつもりで、母親の不安まで暴いてしまったのだ。

その人はもう十分、自分を責めていたのだろう。

私は「気づけなくてすみませんでした」と言った。

それから、「でも、蒼太くんのことはちゃんと見ています」と続けた。

その言葉は、前より少し静かに言えた。

言い切るためではなく、届けるための声で。

帰り際、蒼太くんは玄関で母親の指を握った。

そのとき、ほんの一瞬だけ、口元がゆるんだ。

安心した顔だった。

私は、祖母の連絡帳の一文を思い出した。

ああ、見ていたのだ。

祖母は、ちゃんと。

小さな顔のほんの一瞬の緩みまで。

言えなかっただけで。

その夜、私は祖母の連絡帳をもう一度開いた。

最後のページの余白に、園の先生の走り書きがあった。

「見ていてもらえる子は、ちゃんと育ちます」

私は、その文を何度も読んだ。

見ていてもらえる子は、ちゃんと育ちます。

抱きしめられることだけが愛情ではない。

励まされることだけが支えでもない。

少し離れたところで、転ばないように、でも転ぶ自由までは奪わないように、迷いながら見ていてくれる人がいる。

それだけで、人は案外、ちゃんと育つのかもしれない。

私は連絡帳を閉じて、しばらく胸に抱いた。

祖母はもういない。

もう、「あんた、泣いてるの」と呆れた顔をされることもない。

でも今なら分かる。

あの人はずっと、見ていた。

私が勝手に、言葉のなさを不在だと勘違いしていただけだった。

翌朝、保育園の門の前で、蒼太くんが振り返って私を見た。

私は手を振った。

蒼太くんも、小さく振り返した。

それだけのことなのに、胸の中に静かなものが灯った。

保育園の朝は、今日も泣き声から始まる。

私は靴箱の前にしゃがみ、泣く子の背中をさすりながら、泣かない子の目も見る。

祖母のように、うまくはできない。

けれど、少しだけならまねできる気がした。

大丈夫、と急いで言い切るのではなく。

ここで見ていますよ、と手つきで伝えるような見守りを。

たぶん愛情というのは、言葉の数では量れない。

迷った回数や、ためらった沈黙や、触れなかった手のぬくもりみたいなところに、あとから見つかることがある。

人は、あとになってから受け取る愛情がある。

遅すぎるようでいて、でも遅いからこそ沁みるものがある。

そのことを私は、祖母の残した連絡帳から、ようやく教わったのだった。

心が疲れているあなたへ

この物語は、すれ違いや後悔の中でも、
人の想いはちゃんと残り続けるということを教えてくれます。

もし今、誰かに対して誤解やわだかまりがあるなら、
少しだけ立ち止まって、相手の気持ちを考えてみてください。

あなたの中の“後悔”が、
やさしい形でほどけていきますように。

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「心が疲れているときに見られるサインと対処法」 心が疲れているときに見られるサインと、やさしく整える方法

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