泣ける話

泣ける話

鍵を閉めた日のこと

校舎というものは、子どもがいなくなると、急に年を取る。昼のあいだ、あれほど騒がしく笑っていたくせに、放課後の廊下は、嘘みたいに静かになる。窓ガラスに西日が差し、床のワックスだけが、薄く金色に光っている。私は、その時間が嫌いではなかった。いや、好きだったと言うと、少し気取って聞こえるかもしれない。
泣ける話

姉がいない朝に、あのマグカップだけが残った

姉がいなくなってから、商店街の朝は妙に広くなった。 いなくなった、という言い方は少し大げさかもしれない。 死んだわけでもなければ、夜逃げしたわけでもない。 ただ、毎朝そこにいた人が、ある日から店に立たなくなった。
泣ける話

祖母が見ていたのは、私の仕事だった

祖母が入院したとき、私はその病院で清掃員として働きはじめて、まだ三か月しか経っていなかった。 三か月というのは、仕事に慣れたふりだけがうまくなって、中身はまだ空っぽ、という、いちばんみじめな時期である。 モップの持ち方も、汚れの見つけ方も、先輩の真似をしてそれらしくやっていた。 けれど、床の曇りは拭き取れても、自分の胸の中にある濁りまでは、どうにもならなかった。
泣ける話

止まっていた時間

先生を最後に乗せたのは、梅雨のいちばん深い夜だった。いや、最後に乗せたと思っていた、というほうが正しい。正しい、などと書くと、何か私が冷静で、物事をちゃんと見ていた男みたいだが、実際の私はその逆である。四十二にもなって、未だに思い込みで腹を立て、言わなくていいことを言い、あとで一人になってから、その言葉の角で自分の胸を傷つける。そういう、湿った紙みたいな人間だ。
泣ける話

母の伝言メモと、返せなかった「ごめん」

母が島へ来ると言い出したとき、私は反対しようとして、やめた。反対できるほど、親孝行な息子ではなかったからである。いや、正確に言えば、反対する資格がない気がしたのだ。三年前、本土での仕事を辞め、逃げるようにこの離島へ渡った。季節だけ働いて、金が少したまったらまたどこかへ行くつもりだった。
泣ける話

鍵の音が変わった日

離島の朝は、潮の匂いより先に鍵の音がする。民宿の廊下を歩くたび、僕の腰のキーホルダーが小さく鳴って、まだ眠っている客室のドアがそれに応えるみたいに黙る。鍵は、島の暮らしそのものだ。風が強い日ほど、よく締めておかないと、扉は勝手に開いてしまう。
泣ける話

元恋人の遺留品に入っていた「宛名のない手紙」

港町の坂は、雨が降る前から潮の匂いがする。濡れてもいないのに、靴底がやけに重い日がある。郵便配達員の僕は、そういう日を「手紙の日」と呼んでいる。理由はない。ただ、胸の奥が先に知っているのだ。
泣ける話

祖母の留守電を聞いて、私は泣いた|言えなかった感謝を描く短編

夜勤明けの廊下というものは、いつも少しだけ、この世から外れている気がする。蛍光灯は白すぎるし、床は磨かれすぎていて、足音だけがやけに現実的だ。朝の六時前、ナース ステーションの時計の秒針だけが、せっせと人を急がせている。私は記録を打つ指を止めて、こめかみを押した。
泣ける話

『3年越しの返信、図書館で再会した幼なじみ』

返却口の底で、いちばん軽い文庫が鳴った。乾いた紙が擦れる音。『銀河鉄道の夜』——その本だけ、濡れていないのに妙に冷たい。開いた瞬間、しおりの代わりに“写真”が落ちた。裏に鉛筆で一行。「返事、遅くなってごめん。ここで待ってる。」差出人の名前を...
泣ける話

返事の遅い手紙|返せなかった想いと後悔を描く短編

玄関の靴箱の上に、見知らぬ封筒が置かれていた。白い封筒。差出人の欄だけ、空白。宛名には、僕の名前が、僕の知らない字で書かれている。読めるのに、読めない。そんな字だった。