手帳の余白

夢幻的な夕日と天空の景色 家族の話

母が老人ホームに入ったのは、秋の終わりだった。

 終わり、と書くといかにも何かがきれいに閉じたようだが、実際にはそんなものではない。

 雨の続く火曜日の午後、介護タクシーの車輪が濡れた舗道をきい、と鳴らし、私は母の小さな鞄を持ち、母はいつもの茶色い手帳を胸に抱えていただけだった。

 人生の節目というものは、案外そのくらいみすぼらしく、静かで、誰にも拍手されない。

 私はケアマネジャーだった。

 他人の親の介護保険申請も、区分変更も、サービス担当者会議も、施設探しも、ずいぶんやってきた。

 なのに、自分の母のこととなると、私はひどく不器用だった。

 父が亡くなってから、母は一人暮らしを続けていた。

 気丈な人だった。

 誰かに頼ることが苦手で、電話をかけても「大丈夫」「平気」「なんとかなる」の三つでだいたい済ませてしまう人だった。

 けれど二年前の脳梗塞から、少しずつできないことが増えた。

 火の消し忘れ。

 薬の飲み間違い。

 冷蔵庫の中で同じ豆腐が三つ並ぶこと。

 洗濯機の中で湿った服が一晩たってもそのままなこと。

 最初は笑い話で済ませていた。

 次は、注意すればいいと思った。

 その次は、私がもっと通えばいいと思った。

 そして最後は、施設に入るしかない、と私が決めた。

 この「私が決めた」というのが、あとになって胸に引っかかった。

 本当は相談だったはずなのに、私は心のどこかで、もう答えを決めていたからだ。

 忙しかったのである。

 この言葉は便利だ。

 忙しい、と言えば、たいていの不足は事情になる。

 朝から訪問、昼は記録、午後は担当者会議、夕方は家族から電話、帰れば自分の家の夕飯と洗濯。

 母から着信があっても、「あとでかけ直そう」と思って、そのまま日付が変わることもあった。

 母は留守電に、「お仕事中ならいいよ」とだけ残した。

 それがやさしさであることはわかっていた。

 けれど、やさしさというものは、ときどき棘になる。

 責められたわけでもないのに、責められている気がするからだ。

 入所の話をしたとき、母は思いのほか素直にうなずいた。

「もう、あんたに迷惑かけとるしね」

 私はその言い方に、少し苛立った。

「迷惑じゃないよ」

「でも忙しいやろ」

「それとこれは別」

 母はそこで、あの曖昧な笑い方をした。

 昔からそうだった。

 言いたいことを飲み込むとき、母は少しだけ唇の端を上げる。

 こちらに気を遣っているのが見え見えの、損な笑い方だった。

「お母さん、私これでもケアマネだよ。ちゃんと考えてる」

 言ったあとで、私はすぐに後悔した。

 職業を楯にするなんて、いちばん卑怯なやり方だった。

 私は娘として母を説得できないから、専門職として押し切ったのである。

 母は何も言わなかった。

 ただ、手帳の表紙を親指で撫でていた。

 そのしぐさを見て、不意に昔のことを思い出した。

 子どものころ、母は何でも手帳に書いていた。

 遠足の日の持ち物も、給食袋を持ち帰る日も、家庭訪問も、私の予防接種も、みんな手帳だった。

 私はある晩、食卓でむっとして言ったことがある。

「そんなに書かんと、私のことくらい覚えとけばいいやん」

 母は少し困った顔をして、それから笑った。

「忘れたら嫌やから書くんよ」

 私は当時、その言葉の意味がわからなかった。

 覚えていることだけが愛情だと思っていたからだ。

 けれど今ならわかる。

 忘れないように書くことも、立派な愛情だったのだ。

 ホームに入ってからも、母はその手帳を肌身離さなかった。

 部屋は南向きで、窓から小さな中庭が見えた。

 ラウンジでは午後になると演歌が流れ、職員が利用者の肩に膝掛けをかけ、食堂には出汁の匂いが満ちた。

 私が利用者家族に説明するなら、「明るく落ち着いた、よい環境です」と言うだろう。

 けれど母は、自分の名前がまだ服に馴染まない学生みたいに、どこか所在なさげだった。

 面会に行くたび、母は「ここ、みんなやさしいよ」と言った。

 私はそのたび、少しだけ息が詰まった。

 それはたぶん、「やさしい」の中心に私がいない気がしたからだ。

 ある日、施設から電話があった。

 母が夕食をあまり食べなかったという。

 私は会議を一本ずらして、仕事帰りに寄った。

 部屋に入ると、母はベッドに腰かけて手帳を開いていた。

「どうしたの、食べられなかったって」

「ちょっとね、口がまずくて」

「熱は? 咳は? 水分は?」

 私は職業病みたいに質問を並べた。

 睡眠、排泄、薬、痛み、痰の色。

 母はひとつずつ答えて、それからふっと笑った。

「あんた、仕事の顔しとる」

「え?」

「娘の顔、たまに忘れるねえ」

 私はむっとした。

「仕方ないでしょ、心配なんだから」

「うん」

「お母さんがちゃんとしてくれないと、こっちも困るし」

 言った瞬間、自分で自分の頬を殴りたくなった。

 困っているのは私ではない。

 自分の家を離れ、台所を離れ、近所づきあいを離れ、何十年分の習慣を手放している母のほうだ。

 なのに私は、いつも自分の忙しさとしんどさを先に置いてしまう。

 母は少しだけ黙ってから、手帳を静かに閉じた。

「ごめんね」

 その「ごめんね」が、やけに小さく聞こえた。

 私はそれ以上その部屋にいられず、「ちゃんと食べてね」とだけ言って出た。

 廊下を歩きながら、私は腹が立っていた。

 母にではない。

 たぶん、自分にだ。

 私は母が弱るたび、悲しいのではなく責められている気分になるのだった。

 もっとできたはずだ、と。

 もっと帰れたはずだ、と。

 だから私は忙しさの陰に隠れる。

 忙しい人間は、不十分でも責められにくいからだ。

 冬のはじめ、母は肺炎で入院した。

 大事には至らなかったが、目に見えて体力が落ちた。

 車椅子に座る姿が急に小さくなり、点滴の管のほうが母の腕より目立つようになった。

 私は毎日病院へ通った。

 通いながら、こんなことを思う自分が嫌だった。

 入所する前に、これくらい来ればよかった、と。

 人は間に合わなくなってから急に熱心になる。

 それは誠実というより、たいていは罪滅ぼしである。

 ある夕方、窓の外に初雪がちらつくころ、母が言った。

「施設の引き出しに、手帳あるやろ」

「うん」

「あれ、あんた持っとって」

「なんで」

「なんでもない」

「退院したらまた使うでしょ」

 母は目を閉じたまま、少し笑った。

「そうやねえ」

 私はいやな予感を飲み込んだ。

 人は予感を口にすると、本当にそうなってしまう気がして、黙る。

 次の日、母はめずらしく昔話をした。

「由希、小さいころ熱出した夜な、ずっと寝言で“遠足いきたい”言うとった」

「そんなの覚えてない」

「お弁当、たのしみにしとったもんねえ」

「……お母さんの卵焼き、甘かった」

「甘いが好きやったろ」

「いま思うと、ちょっと甘すぎた」

 母は笑った。

 私も笑った。

 病室で二人で笑ったのは、ずいぶん久しぶりだった。

 そのとき私は、ああ、こういう時間がもっとあればよかったのだ、と思った。

 話の中身ではなく、ただ親子であることに戻れる時間が。

 母が亡くなったのは、その三日後の朝だった。

 雪の薄く積もった日だった。

 窓の外は明るいのに、世界の音だけが吸い取られたみたいに静かだった。

 私は泣いたが、声をあげるというより、身体の内側で長い何かが音もなく崩れていく感じだった。

 葬儀のあと、私は施設へ荷物を取りに行った。

 職員のひとりが深く頭を下げて、「お母さま、いつもありがとうございますっておっしゃってました」と言った。

 私はその言葉に、少しだけ腹が立った。

 母は最期まで、誰にでも気を遣っていたのだ。

 私にくらい、もっとわがままでいてくれればよかったのに、と思った。

 部屋の引き出しを開けると、たたんだハンカチの下に、あの茶色い手帳があった。

 私は車に戻ってから、それを開いた。

 予定の欄には、通院日や面会日や、私の訪問予定がきちんと書かれていた。

 丸くて小さな字だった。

 ページをめくると、ところどころ余白にひと言ずつメモがあった。

 「今日はよく眠れた」

 「となりの人、歌が上手」

 「みそ汁おいしかった」

 「中庭の椿、赤い」

 そんな些細なことばかりだった。

 私はそのことに、胸を衝かれた。

 母は失ったものばかり数えていたのではなく、残された小さなものをちゃんと拾っていたのだ。

 そして十二月のページの終わり、もう予定のなくなった見開きの余白に、私の名前があった。

 「由希へ」と書かれていた。

 その下に、何行も、ゆっくり書いた跡があった。

 私は車の中で、それを読んだ。


由希へ

忙しいのに、ようしてくれてありがとう。

あんたはいつも急いどるから、自分のしていることを少なく思うやろうけど、そんなことないよ。

家に来てくれた日も、電話だけの日も、ぜんぶうれしかったです。

ほんとは、もっと甘えればよかったかもしれんね。

でも、あんたが仕事で誰かのお年寄りを支えとると思うと、母親として少し誇らしかったです。

わたし一人の娘で終わらんで、ようけの人の力になっとるがやね。

だから、さみしいのはさみしかったけど、がまんしていたんじゃないよ。

ちゃんと、納得もしとったよ。

手帳に予定を書くたび、あんたの名前を書くたび、わたしは安心しとった。

この子は今日も働いとる、この子は人に必要とされとる、と思うと、静かにうれしかったです。

もし、もっとやれたはずやとあんたが思う日がきたら、それは少し違います。

してもらったことを数えたら、わたしのほうがずっと多いよ。

小さいとき、熱の夜に手をにぎって寝たこと。

高校の弁当を毎日空っぽにしてくれたこと。

父さんが死んだあと、泣かんように台所を手伝ってくれたこと。

ぜんぶ、母さんは覚えとる。

だから胸を張りなさい。

忙しく生きたことを、恥じんでいい。

あんたは、いい仕事をしています。

それは母さんの静かな誇りです。


 読み終わるころには、手帳の文字が涙で滲んだ。

 私はずっと、母に足りなかったことばかり数えていた。

 会えなかった日。

 冷たくした言葉。

 急いで帰った面会。

 取れなかった電話。

 けれど母は、足りなかったところではなく、私が差し出した欠片のほうを、ひとつずつ拾っていたのだった。

 その几帳面さが、いかにも母らしかった。

 私は手帳を胸に抱えて、しばらく泣いた。

 あんなふうに許されると、人は救われるより先に、恥ずかしくなる。

 私は母に胸を張れと言われるような娘だったろうか。

 たぶん違う。

 けれど、違うまま終わらせないために、生きていくのだろう。

 春が近づいたころ、担当している利用者さんの家で、娘さんが申し訳なさそうに言った。

「何度も電話してしまって、すみません。ご迷惑じゃないですか」

 私は少し考えてから、首を振った。

「迷惑じゃないです」

 前より、まっすぐ言えた気がした。

 忙しい日は相変わらず忙しい。

 記録は溜まるし、電話は鳴るし、予定どおりに進む日はほとんどない。

 私はたぶん、これからも完璧な娘にはなれない。

 けれど鞄の内ポケットには、あの手帳が入っている。

 迷った日には、母の余白を読む。

 すると不思議に、叱られるのではなく、背中をそっと正される。

 誇りというものは、声高に掲げる旗ではないらしい。

 古い手帳の余白に、震える字で残されるようなものだ。

 誰にも見せなくていい。

 けれど、それがあるだけで、人は少しだけましに生きられる。

 夕方、事務所を出ると、空が薄い茜色に染まっていた。

 私は車に乗る前に、鞄の上から手帳に触れた。

 母はもういない。

 それでも、急ぎすぎる私の歩幅を、あの人だけは今も知っている気がした。

 だから私は、少しだけ背筋を伸ばして、家へ帰った。

 泣きながらではなく。

 泣いたあとにだけ残る、静かな誇りを連れて。

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