書店員の私と祖母の約束|図書館としおりがつなぐ泣ける感動短編

神秘的な図書館の光景 家族の話

祖母は、約束を忘れる人ではなかった。

 少なくとも、昔はそうだった。

 電車の時間も、回覧板を隣へ回す日も、私の遠足も、母の誕生日も、町内会の掃除も、祖母はたいてい全部覚えていた。

 覚えている、というより、世界のほうが祖母の頭のなかできちんと並んでいたのだと思う。

 今日は何曜日で、味噌がもう少ないから明日は買いに行って、天気がよければ布団を干して、私が夕方に寄るなら饅頭を半分残しておく。

 そういう細かな整頓で、祖母は暮らしを支えていた。

 だから、最初に「忘れられた」のが私との約束だったとき、私は思ったより深く傷ついた。

 ああ、私はその程度なのだ、と。

 人は、身内に対してだけ妙に子どもじみた結論を急ぐ。

 私が書店で働きはじめて三年目の春だった。

 駅前の小さな書店で、文庫の棚替えと新刊の平台づくり、それから客に場所を聞かれて一緒に店内を歩くのが主な仕事だった。

 本は好きだったが、仕事になると好きだけでは済まない。

 雑誌の付録は重いし、児童書の棚はすぐ荒れるし、電話の問い合わせは閉店前に集中する。

 それでも、本屋の朝の匂いはいい。

 紙とインクと、昨夜のまま少し残った空調の乾いた匂い。

 開店前の静かな店内に立つと、自分もまだ何者かになり損ねたまま、ぎりぎりここに置いてもらっている気がした。

 私は昔から、図書館より本屋が好きだった。

 図書館は正しすぎるからだ。

 静かで、きれいで、誰にでも開かれている。

 そのくせ、どこか「借りたものは返しなさい」という感じがして、少し気後れした。

 一方、本屋はもっと雑で、欲望が並んでいた。

 売れ筋、話題作、悩み別の実用書、派手な帯、レジ前の小物。

 人間くさい場所だった。

 でも祖母は、図書館が好きだった。

「ここは、しずかでええねえ」

 と、いつも言った。

 静かな場所が好きなのか、本が好きなのか、私は長いことよくわからなかった。

 祖母は毎回、児童書の棚の近くまで行って、絵本の表紙をしばらく眺め、それから決まって、文芸書の隅の古い椅子に座った。

 私はそのあいだ新刊コーナーを見て回り、帰りに一緒にロビーの自販機で甘い缶コーヒーを飲んだ。

 その時間が、私は好きだった。

 祖母と私は、仲がよかった。

 仲がいい、というのも変な言い方だが、少なくとも、うまくいっている時の親子よりは話が合った。

 母は何かと急ぐ人で、私はその急ぎ方に似てしまった。

 一方、祖母は待つ人だった。

 お湯が沸くのを待つ。

 花が咲くのを待つ。

 人が言葉を見つけるのを待つ。

 私が子どものころ、学校で嫌なことがあって泣きながら話すときも、祖母だけは途中で「で、何があったん」と急かさなかった。

 黙ったまま、麦茶の入ったコップを置いて、私がしゃべり出すまで待った。

 だからたぶん私は、祖母の前では少しだけ、まともな人間でいられた。

 その祖母が、七十八を過ぎたあたりから、ときどき変になった。

 火を消したか何度も確かめたり、さっき話したことをまた尋ねたり、財布を冷蔵庫に入れたりした。

 母は最初、「年やから」と笑っていた。

 私も笑った。

 人は不安を、不安のまま受け取るのが下手である。

 だから少しの異変なら、冗談にしてしまう。

 けれど、冗談にできるうちが、たぶんいちばん軽い時期だったのだ。

 ある日、祖母と図書館へ行く約束をした。

 私は仕事が休みで、祖母は朝から電話で「今日は新しいしおり持っていくわ」と言った。

 祖母はしおりを集める癖があった。

 本屋でも図書館でも、何かの挟み紙でも、気に入るとすぐ取っておく。

 なかでも好きだったのは、押し花のしおりだった。

 ラミネートの中で、季節が平たく保存されているのがいいらしかった。

「なんでそんなに好きなん」

 前に聞いたら、祖母は少し考えてから言った。

「どこまで読んだか、忘れても戻れるやろ」

 私は笑って、「それ、しおりの説明そのままやん」と言った。

 祖母も笑った。

 でも今思えば、あの返事はたぶん、祖母自身のためのものでもあったのだろう。

「十二時に迎えに行くね」

 私がそう言うと、

「わかった。ちゃんと待っとる」

 祖母は言った。

 その声が妙に明るかったので、私は少し安心していた。

 十二時少し前に実家へ行くと、玄関の鍵が開いていた。

 私は嫌な予感がして、急いで中に入った。

 祖母はいなかった。

 居間にも、台所にも、庭にもいなかった。

 テーブルの上に、図書館の貸出券だけが置いてあった。

 私は青くなって、母に電話した。

 母も仕事先から飛んで帰ってきた。

 近所を探し回ったあと、祖母は商店街の外れの交番で見つかった。

 図書館へ行こうとして、道がわからなくなったらしかった。

 交番の椅子に座る祖母は、ひどく小さく見えた。

 膝の上に鞄を置いて、まるで誰かに叱られるのを待つ子どもみたいだった。

 私の顔を見るなり、祖母は言った。

「ごめんねえ。ちょっと、忘れてしもうて」

 その「忘れて」が、私はたまらなく嫌だった。

 何を忘れたのか。

 道か、約束か、それとも私か。

 私は安心した反動もあって、つい強い声を出した。

「勝手に出たらだめやん!」

 祖母は驚いた顔をした。

 その顔を見て、すぐに言いすぎたと思ったが、遅かった。

「待っとってって言ったでしょ」

「うん……」

「なんで一人で行くん。危ないよ」

 祖母はうつむいて、貸出券を握りしめた。

 私はその手を見て、なおさら腹が立った。

 腹が立った、というのは少し違うかもしれない。

 怖かったのだ。

 でも人は、怖いとき、たいてい怒る。

 その日の帰り、私は祖母とほとんど話さなかった。

 母は「見つかっただけよかった」と言ったが、私はうなずけなかった。

 よかった、の先にある疲れや情けなさのほうが大きかった。

 そして何より、忘れられたことが悲しかった。

 祖母にとって大事な順番が、もう壊れてしまったのだと思った。

 それからしばらく、私は図書館へ誘わなくなった。

 仕事も忙しかった。

 新装開店した大型書店の影響で、店の売上は落ちて、スタッフは減らされ、私は一人で二人分働く日が増えた。

 帰宅すると、もう誰にもやさしくできる気がしなかった。

 祖母からたまに電話が来ても、「また今度ね」と切ることが増えた。

 祖母は「忙しいがやねえ」と笑った。

 その笑い方が、昔より少し遅くなっているのを、私はちゃんと見ようとしなかった。

 夏の終わり、祖母は施設に入った。

 母一人ではもう無理だったし、私も手伝えることには限界があった。

 祖母は最初、「ホテルみたいやね」と笑っていたが、三日目には自分の部屋がどこかわからなくなった。

 面会に行くと、祖母は私を見て「図書館、行く?」と言った。

 私は笑ってごまかした。

「また今度ね」

 その「また今度」が、どんどん溜まっていった。

 祖母が亡くなったのは、冬のはじめだった。

 眠るようでした、と施設の人は言った。

 私はその言い方が嫌いだ。

 死をやさしく言い換えられると、残された者の乱暴な気持ちの置き場がなくなる。

 葬儀が終わってしばらくしてから、私は祖母の部屋の荷物を片づけた。

 衣類と、使いかけのハンドクリームと、ティッシュと、大きな字の雑誌と、細々したものばかりだった。

 そのなかに、古い大学ノートが一冊あった。

 表紙に何も書いていない、青い罫線のノートだった。

 開くと、祖母の日記だった。

 毎日ではない。

 思い出したように、短く書いてある。

 字は後半ほど揺れていたが、それでも祖母の字だった。

 私は畳の上に座って、少しずつページをめくった。

 天気のこと。

 スーパーで卵が安かったこと。

 庭の椿が咲いたこと。

 私が新しい靴を履いていたこと。

 図書館の窓がきれいだったこと。

 そういう小さなことばかりだった。

 その小さなことばかり、というのが、胸にこたえた。

 人は大事なことを大きく書くとは限らない。

 むしろ、失いたくないものほど、小さく書くのかもしれない。

 秋のページに、あの日のことがあった。

 交番で見つかった日の、夜の記述だった。

 私は息を止めて読んだ。

『きょう、図書館へひとりで行こうとして、道がわからんようになった。

 さやかが迎えにきた。

 おこらせてしまった。

 こわい思いをさせた。

 あの子はやさしい子やから、こわいとおこる。

 わたしは約束を忘れていたのではない。

 さやかとの図書館を、ひとりでも先に守ろうとして出たのやと思う。

 でも、守り方をまちがえた。』

 私はそこで、もう先を読めなくなった。

 約束を忘れたのではなかった。

 忘れたのは、たぶん道のほうで、私との約束ではなかったのだ。

 私はあの日、祖母にとっていちばん残酷な誤解をしたのかもしれない。

 忘れられた、と思い込んだ。

 でも本当は、祖母は私との約束を守ろうとして、一人で出てしまったのだ。

 私はノートを膝に置いて泣いた。

 泣きながら、笑いたくもなった。

 人はどうして、傷つくと、いちばん簡単な悲しい解釈に飛びつくのだろう。

 忘れられた、なんて、あまりにわかりやすくて、あまりに自分中心だ。

 でもその自分中心さで、私はずっと自分を守っていたのだ。

 日記には、そのあとも私のことが何度も出てきた。

『さやかが持ってきた本のしおり、きれいやった。』

『あの子は本屋さんやから、本のにおいがする。』

『図書館へ行けんでも、あの子が来ると、しおりがはさまるみたいに日が止まる。』

 私はその一文で、とうとう声を上げて泣いた。

 しおりがはさまるみたいに日が止まる。

 そんなふうに思われていたことを、私は知らなかった。

 知らないまま、「また今度」を重ねた。

 ノートの最後のほう、もう字がずいぶん弱くなったページに、短い記述があった。

『図書館の約束、もうたぶん行けん。

 でも、しおりは、本のつづきがどこか教えるものやから、会えん日も、わたしはさやかを見失わんと思う。』

 私はノートを閉じて、しばらく動けなかった。

 見守る、というのは、監視することでも、世話を焼くことでもないのだろう。

 相手がいない時間にも、その人の続きを信じていること。

 祖母はたぶん、そういうふうに私を見ていた。

 覚えていられなくなっていく自分のなかで、それでも私を見失わないように、言葉を書き留めていたのだ。

 翌週、私は休みを取って、ひとりで図書館へ行った。

 川沿いの道は、冬の光で白く乾いていた。

 閲覧室の窓際の席は空いていて、いつもの古い椅子もそのままだった。

 私はそこに座り、鞄から祖母の日記と、一枚のしおりを出した。

 祖母が最後まで使っていた、押し花のしおりだった。

 色の抜けた小さなかすみ草が、透明なフィルムのなかに閉じ込められていた。

 私は適当に選んだ短編集を開き、そのしおりを挟んだ。

 それだけで、祖母が「そこよ」と小さく言った気がした。

 窓の外で風が吹いて、川面が少しだけ揺れた。

 私は本を閉じて、日記の最後のページに、そっと一行書き足した。

『つづきは、ここにあるよ。』

 祖母の字に似ても似つかない、自分の少し尖った字だった。

 でも、いいと思った。

 綺麗に受け継がなくても、つづいていれば、それでいいのだ。

 帰り際、図書館のロビーで、子どもが一冊の本を抱えて走っていった。

 若い母親が慌てて追いかけている。

 私はそれを見て、少し笑った。

 祖母がいたら、きっと「元気やねえ」と言っただろう。

 商売柄、私は毎日たくさんのしおりを見る。

 新刊の販促のもの、文庫のおまけ、出版社の栞紐のようなものまである。

 でも今では、しおりはページを挟むためだけのものには思えない。

 どこまで読んだかではなく、誰とどこにいたかを、静かに留めておくものだ。

 それはきっと、本のためだけではない。

 人の記憶もまた、しおりでできている。

 抜け落ちる頁があっても、開き直せる場所が一つあれば、人はなんとかつづきを読める。

 夕方、書店へ戻ると、店内にはいつもの紙の匂いがしていた。

 私はレジ脇の自分の私物棚に、祖母のしおりをそっと置いた。

 疲れた日には、それを文庫に挟むつもりだった。

 祖母がそうしたように。

 忘れても、見失っても、またそこから読めるように。

 祖母はもういない。

 でも、見守られていたことだけは、なぜだかよくわかる。

 だから私は今日も、本を棚に戻しながら、ときどき心の中で祖母に話しかける。

 ちゃんとやっとるよ、と。

 すると返事はないくせに、ページのあいだから、小さな花の匂いだけがする気がする。

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