2026-03

泣ける話

祖父の財布は、私の明日を守っていた

祖父のことを、私はずっと、けちな人だと思っていた。  言い方は悪いが、ほんとうにそう思っていたのだから仕方がない。  子どもの頃、団地の下の駄菓子屋へ連れて行ってもらっても、「百円までだ」ときっちり言う人だったし、自動販売機の前でジュースをねだれば、「家で麦茶飲めばいい」と真顔で返された。
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先生の余白に、私はいた

恩師のことを、私は長いあいだ、少し苦手だった。  尊敬していなかったわけではない。  むしろ、その逆である。  尊敬していたからこそ、うまく近づけなかった。  学生のころ、私は文学部で、近代日本文学のゼミにいた。
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靴の底のひかり

人を励ます仕事をしているくせに、私は、励まし方が下手だった。  理学療法士になって七年目になる。  病院の回復期病棟で、私は毎日、誰かの「もう無理です」と向き合っていた。  立ち上がる練習。
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定期券のぬくもり

弟とは、もう何年も、ちゃんと話していなかった。  喧嘩別れ、というほど劇的なものではない。  もっと鈍くて、もっとだらしのない断絶だった。  会えば話す。  連絡が来れば返す。  盆や正月には顔も合わせる。  けれど、肝心なところへ来ると、...
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問診票の裏

父とは、ずいぶん長いこと、まともに話していなかった。  絶縁、というほど派手なものではない。もっと鈍くて、もっと情けない。電話をしても出ない日が増え、こちらも何度もかける気をなくし、正月の挨拶は年々短くなり、会えば天気の話しかしない。
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レシートの裏に、母がいた

母とは、長いこと、うまく話せなかった。  仲が悪い、というのとは少し違う。  怒鳴り合ったり、皿を割ったりするような派手な不仲ではない。  ただ、言葉を交わすたびに、見えない針が一本ずつ胸に残る。  そういう、静かでみじめな遠さだった。
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父の本音が「レシートの裏」に書かれていた日

商店街の朝は、油の匂いとシャッターの音で始まる。僕は弁当屋の店員で、まだ誰にも名を覚えられていない程度の男だ。店の看板は「まるや弁当」。赤い提灯が風に鳴る。その小さな鈴みたいな音が、父の咳に少し似ている。父はこの店の店主だった。
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鍵を閉めた日のこと

校舎というものは、子どもがいなくなると、急に年を取る。昼のあいだ、あれほど騒がしく笑っていたくせに、放課後の廊下は、嘘みたいに静かになる。窓ガラスに西日が差し、床のワックスだけが、薄く金色に光っている。私は、その時間が嫌いではなかった。いや、好きだったと言うと、少し気取って聞こえるかもしれない。
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姉がいない朝に、あのマグカップだけが残った

姉がいなくなってから、商店街の朝は妙に広くなった。 いなくなった、という言い方は少し大げさかもしれない。 死んだわけでもなければ、夜逃げしたわけでもない。 ただ、毎朝そこにいた人が、ある日から店に立たなくなった。
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祖母が見ていたのは、私の仕事だった

祖母が入院したとき、私はその病院で清掃員として働きはじめて、まだ三か月しか経っていなかった。 三か月というのは、仕事に慣れたふりだけがうまくなって、中身はまだ空っぽ、という、いちばんみじめな時期である。 モップの持ち方も、汚れの見つけ方も、先輩の真似をしてそれらしくやっていた。 けれど、床の曇りは拭き取れても、自分の胸の中にある濁りまでは、どうにもならなかった。