【泣ける話】理学療法士の孫が見つけた祖父の日記|靴に残された“立ち方”の教え

Enchanted corridor to a dreamscape 家族の話

私は、人に歩き方を教える仕事をしている。

理学療法士という肩書きは、いかにも人を支える者のようで、名刺に刷ると少し立派に見える。

けれど実際の私は、人の人生を支えるほど強い人間ではない。

ただ、膝の曲げ方を見て、重心の移し方を直し、転ばないように横に立つ。

それだけのことを、毎日、神妙な顔をしてやっている。

病院のリハビリ室には、いろいろな靴が並ぶ。

新品の運動靴。

かかとのすり減った革靴。

名前を書かれた上履き。

退院を夢見る靴もあれば、もう外へ出ることを諦めかけた靴もある。

私は患者さんの靴を見る癖があった。

靴には、その人がどこまで歩いてきたかが出る。

そして、どこへ帰りたいかも。

祖父の靴は、いつもきれいだった。

黒い、古い革靴だった。

何十年も履いているくせに、磨かれていて、つま先だけが少し白く傷ついていた。

私が子どもの頃、祖父はその靴で、毎朝、家の前を掃いた。

「足元がだらしない人間は、心もだらしない」

祖父はよくそう言った。

私はその言葉が嫌いだった。

祖父の言葉は、いつも角が立っていた。

「背中を丸めるな」

「すぐ泣くな」

「できんと言う前に、やれ」

私が転んで泣いても、祖父はすぐに抱き起こしてはくれなかった。

「自分で立て」

そう言った。

その冷たさを、私は長いあいだ恨んでいた。

いや、恨んでいたことにしておいた。

そのほうが、祖父の不器用な愛情を見なくて済むからである。

小学校の運動会の日もそうだった。

私は徒競走で転んだ。

膝から血が出て、砂が傷口に入り、私はその場で泣いた。

母は駆け寄ろうとした。

けれど祖父がそれを止めた。

「最後まで走らせろ」

私はその声を聞いて、祖父のことを少し嫌いになった。

痛いのに。

怖いのに。

みんなが見ているのに。

それでも私は泣きながら立ち上がり、びりでゴールした。

ゴールの向こうで、祖父は腕を組んで立っていた。

褒めもせず、笑いもせず、

「靴ひもがほどけとった」

と言った。

私はその夜、布団の中で泣いた。

祖父に嫌われているのだと思った。

私が理学療法士になったときも、祖父は褒めなかった。

「人に歩けと言う仕事か」

「そうだよ」

「偉そうな仕事やな」

私は腹を立てた。

「偉そうって何」

祖父は新聞から目を上げずに言った。

「人を立たせるなら、自分が先に立っとらんといかん」

それは私には、説教にしか聞こえなかった。

就職して三年目の冬、祖父が入院した。

脳梗塞だった。

命は助かったが、右足に麻痺が残った。

搬送先は、偶然にも私の勤める病院だった。

私は病室で祖父と顔を合わせた。

祖父はベッドの上で、私を見るなり言った。

「お前には頼まん」

その一言で、胸の奥が熱くなった。

心配していたのに。

孫として、少しでも力になりたかったのに。

祖父は相変わらず、私を遠ざけるような言い方しかできない。

「頼まれなくても、担当じゃないから」

私は冷たく返した。

祖父は窓のほうを向いた。

ベッドの下には、あの黒い革靴がそろえて置いてあった。

病院の床には似合わない靴だった。

退院して畑へ行くつもりなのだろうか。

それとも、ただ意地で持ってきただけなのか。

どちらにしても、祖父らしかった。

数日後、担当の先輩に頼まれて、私は祖父のリハビリを一度だけ見ることになった。

祖父は平行棒の前に立っていた。

病衣の裾からのぞく足首は細く、右足は思うように出ていなかった。

平行棒を握る手だけが、昔の祖父のまま強かった。

私は仕事の声で言った。

「おじいちゃん、もう少し左に重心を乗せて」

祖父は顔をしかめた。

「おじいちゃん言うな。患者扱いするな」

「患者でしょ」

「違う」

「じゃあ何」

祖父は黙った。

私は続けた。

「焦らないで。今は一歩ずつでいいから」

祖父は平行棒を握る手に力を入れた。

「一歩ずつなんて、子どもみたいなことを言うな」

その瞬間、私はたまらなくなった。

「じゃあ勝手に歩けばいいでしょ」

リハビリ室が少し静かになった。

私は言ってはいけないことを言ったと分かっていた。

けれど、止められなかった。

祖父は私を見なかった。

ただ、小さく、

「そうする」

と言った。

その日の午後、私は別の患者さんに強く言いすぎた。

「立てます。怖がらないでください」

そう言ったつもりだった。

けれど相手の女性は、平行棒の前で泣きそうな顔をした。

「先生、怖いです」

その一言で、私は祖父の声を思い出した。

自分で立て。

できんと言う前に、やれ。

私は、嫌っていたはずの祖父の言い方を、知らないうちに身につけていた。

人を励ましているつもりで、追い詰めていた。

その夜、祖父はベッドからひとりで立とうとして転倒した。

幸い大きな怪我はなかった。

でも私は、病室で祖父の足元に落ちていた革靴を見たとき、怒りとも恐怖ともつかない感情で震えた。

「何してるの」

祖父は壁にもたれ、息を荒くしていた。

「靴を履こうとしただけだ」

「今の足で? 危ないに決まってるでしょ」

「うるさい」

「うるさいじゃないよ。転んだら終わりなんだよ」

祖父は黙った。

私は勢いのまま言った。

「そんなに私の言うこと聞きたくない? そんなに孫に世話されるのが嫌?」

祖父の顔が、少し歪んだ。

けれど、何も言わなかった。

その沈黙がまた、私を傷つけた。

私はずっと、祖父に否定されてきたと思っていた。

泣くな。

丸めるな。

甘えるな。

できんと言うな。

その全部が、私を小さく責める石のように残っていた。

祖父は退院まで、ほとんど私と話さなかった。

リハビリは別のスタッフが担当した。

私は遠くから、ときどき祖父の歩く姿を見た。

右足を引きずりながら、それでも前へ出そうとする。

平行棒の中で、祖父は何度も止まった。

止まるたびに、悔しそうに唇を結んだ。

それでも、もう一度足を出した。

その姿は、頑固で、痛々しくて、少しだけ美しかった。

退院の前日、祖父の荷物を整理していた看護師が、私を呼んだ。

「これ、ご家族に渡してって言われました」

小さな日記帳だった。

茶色い表紙で、角が擦り切れていた。

私は病院の休憩室で、それを開いた。

最初のページには、祖父の字でこう書かれていた。

「孫が理学療法士になった」

胸が、ひとつ鳴った。

続きがあった。

「人に歩くことを教える仕事らしい。あの泣き虫が、人を立たせる側になった。えらいことだ」

私は息を止めた。

次のページにも、祖父の字が続いていた。

「褒めると、あいつは照れて逃げる。だから言わなかった。いや、違う。私が言えなかっただけだ」

文字が少し滲んで見えた。

「運動会で転んだ日、抱き起こしてやりたかった。膝の砂を払って、よく走ったと言ってやりたかった。だが、先に死ぬ者が、いつまでも手を貸してはいけないと思った」

私は日記を握る手に力を入れた。

祖父の声が、紙の奥から聞こえる気がした。

「私は言い方を間違えた。立て、ではなく、立つまでここにいる、と言えばよかった」

その一文で、涙が落ちた。

私は、祖父の言葉に傷ついていた。

でも祖父もまた、自分の言葉に傷ついていたのだ。

ページをめくると、入院してからの日付があった。

「右足が動かない。情けない。孫に見られたくない」

「今日、孫が重心のことを言った。仕事の顔をしていた。立派だった。腹が立つほど立派だった」

「お前には頼まん、と言った。本当は、お前にだけは頼りたかった。けれど孫の前で、弱い年寄りになるのが怖かった」

私は声を殺して泣いた。

休憩室の蛍光灯が、ひどく白かった。

さらにページをめくると、震えた字で書かれた一文があった。

「今日、あいつが患者さんに謝っていた。『怖かったですね』と言っていた。あいつは私より、ずっと上手に人の横へ立てる」

私はそこで、顔を覆った。

祖父は見ていたのだ。

私が失敗したことも。

直そうとしたことも。

最後のページに、短い文章があった。

「退院したら、黒い靴を磨く。もう畑までは歩けんかもしれん。それでも玄関までは歩く。玄関から道までは歩く。道から、あの子の病院が見えるところまでは、いつか歩く」

そして、少し間を空けて、こう書かれていた。

「あの子に渡したいものがある。歩き方ではない。立ち方だ。人は一人で立つのではない。誰かが横にいて、初めて自分で立ったと言えるのだと、今さら分かった」

私は日記を閉じた。

そのとき初めて、祖父の「自分で立て」という言葉の向こう側を見た気がした。

冷たさではなかった。

祈りだった。

ただ、祈りは不器用すぎると、人を傷つける。

退院の日、祖父は車椅子に座っていた。

足元には、磨かれた黒い革靴があった。

私はしゃがみ込み、その靴を祖父の足に履かせた。

祖父は困ったように言った。

「そんなこと、せんでいい」

「仕事だから」

「孫だろ」

私は顔を上げた。

祖父は窓の外を見ていた。

照れているのだと分かった。

私は靴ひもを結びながら言った。

「おじいちゃん」

「なんだ」

「立つまで、ここにいるよ」

祖父は長いあいだ黙っていた。

やがて、ほんの小さくうなずいた。

そのうなずきは、謝罪のようでもあり、礼のようでもあった。

私は祖父の横に立った。

祖父は手すりを握り、ゆっくり体を起こした。

右足は震えていた。

黒い靴のつま先が、床の上で少し迷った。

それでも、前へ出た。

一歩。

たった一歩だった。

けれど私は、その一歩を、どんな長い道よりも尊いと思った。

祖父は息を吐き、

「下手くそな歩き方や」

と言った。

私は泣きながら笑った。

「でも、いい歩き方だよ」

祖父は何も言わなかった。

ただ、少しだけ背中を伸ばした。

祖父はそれから何年も生きたわけではない。

けれど亡くなる前日まで、玄関に黒い靴をそろえていた。

つま先はいつも、外を向いていた。

葬儀のあと、私は祖父の日記を自分のロッカーに入れた。

今でも、新人の療法士が焦って患者さんを励ましすぎると、私は祖父の言葉を思い出す。

立て、ではなく。

立つまでここにいる。

私はそれを、患者さんに言うことがある。

言うたびに、胸の奥で黒い革靴の音がする。

こつん、と。

祖父が、まだどこかの廊下を歩いているような音だ。

そして私は今日も、誰かの横に立つ。

その人が自分の足で立ったと思えるように。

私の足元には、祖父と同じ形の黒い靴がある。

新品なのに、つま先だけはもう、少し前を向いている。

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