2026-02

泣ける話

止まっていた時間

先生を最後に乗せたのは、梅雨のいちばん深い夜だった。いや、最後に乗せたと思っていた、というほうが正しい。正しい、などと書くと、何か私が冷静で、物事をちゃんと見ていた男みたいだが、実際の私はその逆である。四十二にもなって、未だに思い込みで腹を立て、言わなくていいことを言い、あとで一人になってから、その言葉の角で自分の胸を傷つける。そういう、湿った紙みたいな人間だ。
泣ける話

母の伝言メモと、返せなかった「ごめん」

母が島へ来ると言い出したとき、私は反対しようとして、やめた。反対できるほど、親孝行な息子ではなかったからである。いや、正確に言えば、反対する資格がない気がしたのだ。三年前、本土での仕事を辞め、逃げるようにこの離島へ渡った。季節だけ働いて、金が少したまったらまたどこかへ行くつもりだった。
泣ける話

鍵の音が変わった日

離島の朝は、潮の匂いより先に鍵の音がする。民宿の廊下を歩くたび、僕の腰のキーホルダーが小さく鳴って、まだ眠っている客室のドアがそれに応えるみたいに黙る。鍵は、島の暮らしそのものだ。風が強い日ほど、よく締めておかないと、扉は勝手に開いてしまう。
泣ける話

元恋人の遺留品に入っていた「宛名のない手紙」

港町の坂は、雨が降る前から潮の匂いがする。濡れてもいないのに、靴底がやけに重い日がある。郵便配達員の僕は、そういう日を「手紙の日」と呼んでいる。理由はない。ただ、胸の奥が先に知っているのだ。
泣ける話

祖母の留守電を聞いて、私は泣いた

夜勤明けの廊下というものは、いつも少しだけ、この世から外れている気がする。蛍光灯は白すぎるし、床は磨かれすぎていて、足音だけがやけに現実的だ。朝の六時前、ナース ステーションの時計の秒針だけが、せっせと人を急がせている。私は記録を打つ指を止めて、こめかみを押した。
泣ける話

『3年越しの返信、図書館で再会した幼なじみ』

返却口の底で、いちばん軽い文庫が鳴った。乾いた紙が擦れる音。『銀河鉄道の夜』——その本だけ、濡れていないのに妙に冷たい。開いた瞬間、しおりの代わりに“写真”が落ちた。裏に鉛筆で一行。「返事、遅くなってごめん。ここで待ってる。」差出人の名前を...
泣ける話

返事の遅い手紙

玄関の靴箱の上に、見知らぬ封筒が置かれていた。白い封筒。差出人の欄だけ、空白。宛名には、僕の名前が、僕の知らない字で書かれている。読めるのに、読めない。そんな字だった。僕は郵便局で働いている。一日じゅう、誰かの“用事”を運んで、帰り道に自分...
泣ける話

砂糖のないマグカップ

その朝、僕のマグカップだけ、棚のいちばん上に戻されていた。わざわざ、届かない場所へ。マグカップの底に、乾いた砂糖の粒が二つ、貼りついている。砂糖なんて、ここ半年、家に置いていない。だから僕は、ああ、来たな、と思った。悪い知らせは、いつも甘っ...
泣ける話

図書館で見つけたしおりが、10年ぶりの再会をくれた

雨の日の図書館は、少しだけ、海の底に似ている。音が、みんな丸くなる。返却カウンターに本が置かれる音も、子どもの靴音も、遠くで誰かがページをめくるかすかな気配も、水を一枚くぐって届くみたいに、角が取れてしまう。私はその感じが好きだった。好き、...
泣ける話

恋人の手帳に「最終」とあった

紗季の部屋の鍵が、今夜に限ってやけに重かった。 既読のつかない画面を握り潰しそうになりながら、僕は合鍵を回す。カチ、という音が廊下に響いた。 玄関には僕のスリッパが揃い、テーブルには伏せられたスマホ。充電コードだけが揺れている。 呼んでも返...